「人間ならパンツは穿いておけよ」という文章が素通り
毎日新聞も9月27日付で社説のテーマに取り上げている。
その社説の中で「最も問題になったのは、文芸評論家の小川栄太郎氏の論文である。LGBTを『ふざけた概念』と言ったうえで、LGBTと痴漢を同列にするような非常識な表現があった」と名前を挙げて批判している。
先述の通り、新潮社はどの部分に問題があったのか明らかにしていない。小川氏は寄稿で、「テレビなどで性的嗜好をカミングアウトする云々という話を見る度に苦り切って呟く。『人間ならパンツは穿いておけよ』と。性的嗜好など見せるものでも聞かせるものでもない」と書いている。なぜこのような文章が、編集を素通りして掲載されたのか。新潮社は見解を明らかにするべきだ。
毎日社説は「新潮45」の問題について、こう総括する。
「出版社などの雑誌ジャーナリズムは、人間や社会の本音を描き、議論を巻き起こすことが強みだ。行儀の良さではなく、過激な表現で醜悪さを報じることもある。しかし、今回はその度を越していた」
極論を安易に振りかざせば、良質な読者は去ってしまう
そのうえで、雑誌にあったはずの編集機能が失われていると指摘する。
「ネット言論が台頭し、右傾化した言説や論客が保守系メディアにもてはやされるようになった。同誌にもここ数年、保守系・反リベラルの論者が多く登場している」
「出版メディアがネット媒体と違うのは、さまざまな情報をフィルターにかけ、品質をきちんと管理する編集機能が存在することだ」
「同誌は、極端な意見を掲載することで、一部の極端な読者層を取り込もうとする『偏向商法』だったと言われても仕方ないだろう」
毎日社説の指摘の通りだが、この言葉はそのまま新聞にも跳ね返ってくる。新聞社は発行部数の低迷に悩んでいる。「新潮45」のような事態に陥る危険性もある。産経新聞の誤報は、その一例にすぎない。
「売れればいい」と極論を安易に振りかざせば、良質な読者は去ってしまう。過激さばかりを求める読者に付き合っていれば、取り返しのつかない事態を招く。本当のジャーナリズムは、右や左にわかれるものではないはずだ。各メディアに他山の石としてもらいたい。