風見鶏であるからこそ総理大臣に

博文は特定のイデオロギーや信条で動いていたのではなく、「この日本を滅ぼさないように」というただひとつの目的のために動いていました。もしある特定のイデオロギー――たとえば「尊皇攘夷」――に染まり、その思想に凝り固まってしまえば、国の状況が変化して本当は開国したほうがいいとなっても、頑なに拒否するでしょう。人間はイデオロギーに凝り固まると、融通が利かなくなるのです。

であれば、風見鶏のように世の中の風向きにしたがって、都度都度判断すればいい。大目的である「日本を滅ぼさない」ためには、たかだか人間が空想的に作ったひとつの考え(イデオロギー)などに固執しないほうがいいわけです。

バラエティプロデューサーの角田陽一郎さん

そういうスタンスだったゆえに、彼は一国を引っ張る内閣総理大臣になれました。しかも総理大臣は初代、第5代、第7代、第10代と4回も務め、ほかにも初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任しています。

イデオロギーに固執しない。新しい考えを排除しない。昨日までの自分に縛られない。状況に応じていかようにも対応できる博文のスタンスを、僕は「渦」だととらえています。

来るもの拒まず、去るもの追わず

「渦」には大きく2つの特徴があります。

まず、渦というのは実体がありません。渦とは水が螺旋的に流れ込んでいる「状態」であって、ある形をもった「形態」ではないのです。

そして、渦には「常に」水が流れ込んでおり、「常に」水が流れ出ています。この動きが止まることはありません。来るもの拒まず、去るもの追わず。外界に対して常にオープンです。どんなタイミングで何が入ってくるのも、どんなタイミングで何が出ていくのも自由。

何かを後生大事に「占有」していたり、特権的な何かに「執着」していたりする人に運は向いてきません。自分自身に実体はなく、自分の周囲にいろいろな人が集まって、自分自身にいろいろな作用を施し、自分からいろいろなものを生み出す。

そういう「システムを構築」することが、すなわち開運だと僕は考えています。