「フットボールが、あまり好きではなくなってしまった」

今回の一連の報道のなかで、日大DL選手の「好きだったフットボールが、あまり好きではなくなってしまった」という言葉は、私自身一人の大学教員として本当に悔しい思いで受け取った。

部活動とは、中高だろうが大学だろうが、自主的な活動である(詳しくは拙著『ブラック部活動』(東洋館出版社)を参照してほしい)。授業とちがって、強制されるものではない。すなわち、基本的には自分がそれをやりたいから参加するのである。実際に日大DL選手も、高校のときにアメフトを始めて「とても楽しいスポーツだなと思い、熱中していました」と語っていた。

ところが、「大学に入って、厳しい環境といいますか、そういうもので徐々に気持ちが変わっていって」「好きだったフットボールが、あまり好きではなくなってしまった」という。そしてついには、「この先アメリカンフットボールをやるつもりもありません」(5月22日、日大DL選手の会見)と、競技生活からの離脱を決意するまでに至ったのである。

「もう十分にやりましたから」

選手の成長を促すはずの部活動という教育活動において、その指導が厳しすぎるあまりに、選手が部活動さらには競技生活から離脱していく。はたして学生スポーツはこのままでよいのだろうか。

こうした事例は、日大DL選手だけに限らない。大学教員として、とても残念なことがある。それは、大学への入学者が部活動をつづけてくれないのだ。

全国大会を目指して熱中したはずなのに、大学ではもうつづけない。「せっかく頑張ったのに、もったいない」と嘆くと、「もう十分にやりましたから」と答えが返ってくる。もはや燃え尽きているようにさえ感じられる。

中学校や高校の先生は、部活動の意義をよくこんなふうに語る――「部活動の生徒とは卒業後も付き合いがつづくことが多いんですよ」と。生徒と教師との何にも代えがたい絆が醸成されるというのだ。

中高の先生にとっては、盛り上がって3年間を満足に終えることができれば、それでよいのかもしれない。だが、大学教員は、その残念な結末を目の当たりにするのだ。