超ワンマン体制を堅持したまま異例の4期目
田中英寿・日大理事長の背後には常に暴力団の影がある。『週刊文春』(6/7号、以下『文春』)によると、司忍・六代目山口組組長や福田晴瞭・住吉会前会長と親密で、「山口組の若頭の高山清司親分とは兄弟の盃を交わしている」と堂々と自慢していたといわれる。
司組長とのツーショット写真が海外メディアで大きく報じられた時にも、「あれは合成写真だ」といい募り、超ワンマン体制を堅持したまま異例の4期目の再選をはたしている。
学生数7万5000人、卒業生は100万人になるという超マンモス大学のトップに君臨する田中だが、酒が入る時の口癖は「勉強なんて東大に任せておけばいいんだよ。こっちはな、数と喧嘩だったら誰にも負けねえんだ」。ハナから自分のところの学生を用心棒要員としか見ていないようである。
日大の相撲部に所属し、34個のタイトルを獲得
田中は、青森県北津軽郡金木町の出身。太宰治と同じ町だが、田中の尊敬する人物は、太宰ではなく吉幾三だそうだ。
日大の相撲部に所属し、現役時代は34個のタイトルを獲得。1学年後輩に初の大卒横綱になる輪島がいた。指導者として日大に残った田中は、多くの力士を角界に送り込んだ。
『文春』によると転機は96年に誕生した第10代総長の総長選挙参謀を務めてからだという。以来、順調に出世の階をのぼり、2008年、ついに理事長の椅子を勝ち取る。
アメフト部を牛耳っていた内田正人前監督は田中に気に入られ、ナンバー2の常務理事にまで駆け上がってきた。
『週刊新潮』(6/7号、以下『新潮』)によると、田中理事長の懐刀は内田ではなく井ノ口忠男という日大アメフト部のOBだという。井ノ口は内田のことなど歯牙にもかけていないそうだ。
「日大特製バウムクーヘン」のビジネス
彼は、危険タックルをした宮川泰介選手が会見を開くことを知ると、宮川を呼びつけ、「監督の指示ではなかった、自分の判断だったと言え」と詰め寄り、宮川はかなり悩んでいたという。
この人物、大阪でビジネスをする一方、2010年に作られた「株式会社日大事業部」の運営を一手に担ってきたそうである。ここは別名「日大相撲部」といわれていて、田中理事長率いる相撲部の関係者が複数採用されている。利益の大半は日大への寄付として処理されていて、「現体制の集金マシン」(『文春』)になっているそうである。
日大に関する物品の調達、業務委託など多岐にわたる業務を管轄しているが、その功績が認められ、昨年秋に日大本部の理事に抜擢された。
『新潮』によれば、ここが扱うものに「日大特製バウムクーヘン」というのがある。式典などがあると配られる日大印の菓子である。これを納めているのは、あの井上奨(つとむ)前コーチの実家だそうだ。
しかも、そこが作っているわけではなく、製造業者から買い取り、それを別の販売業者へ卸して日大に収めているというのである。これでは井上が内田のいいなりになるのも無理はない。