06年4月、本社の自動車業務部長になる。富山支店長の後、48歳のときだ。前年に、同業他社で自動車保険の特約で保険金を支払っていなかったことが発覚。同じことが業界で広く行われていたことがわかり、「不払い問題」と批判を浴びた。損保ジャパンでもみつかり、他社とともに当局から業務改善命令を受けていた。さらに、自動車業務部長に就いた2カ月後、業務の一部が2週間の業務停止命令まで受けた。

そこで、決断する。6人いた課長を集め、「業務停止処分が明けたら、保険や説明書の抜本的な簡素化に取り組む」「必ず、やり切る」と宣言した。当時の自動車保険には、「ゴルフをやる人の多くは、車を運転するだろう」との発想からゴルファー保険を特約に付けるなど、後から後から特約ができて、営業担当や代理店でもわかりにくいほど、複雑化していた。

それが、不払いの一因にもなっていた。だが、部内にはその特約をつくった面々もいて、改廃には抵抗感も出た。それを納得させたのが、「喩於義」だ。

課長を順番に伴い、全国の営業拠点を回る。商品開発担当の課長やマニュアルの担当者も連れていく。次は課長と部下でいかせた。5カ月で、80カ所の200人から2000近い改善の要望が出る。その4分の3を実現し、200はあった特約が100以下になった。

翌年秋、全社員と全国の代理店向けに配布を始めた新マニュアルの冒頭に、自ら書いたメッセージを添えた。「お客さまからの貴重なご意見や販売第一線の代理店の皆さまのご要望などを分析し、自動車保険を抜本的に見直します」に始まり、「あるべき姿の自動車保険」への原点回帰を約束する。2016年4月、社長に就任、「現場改革特区」を始めた。お客に選ばれるためのサービスの新設や、「お客第一」を阻害する要因の排除など、提案を集め、愛媛など5カ所でやらせてみた。お客の視点で考え抜く風土を、もっともっと醸成するためで、「喩於義」に終わりはない。

損害保険ジャパン日本興亜 社長 西澤敬二(にしざわ・けいじ)
1958年、東京都生まれ。80年慶應義塾大学経済学部卒業後、安田火災海上保険に入社。人事課長、損害保険ジャパン自動車業務部長などを経て、2008年執行役員営業企画部長、10年常務執行役員、13年専務執行役員、14年損害保険ジャパン日本興亜専務執行役員。16年4月より現職。
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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