1958年2月、東京・北千住に生まれる。染色の町工場を経営していた父と母、兄の4人家族。近くの荒川の土手で、野球をしたりロケット花火を打ち上げたり、のびのびと遊んで育つ。慶応高校時代に体育会の硬式テニス部に入り、慶大経済学部でも続けた。
80年4月、安田火災海上保険に入社。テニス部の先輩に話を聞いた3社のなかで、最初に内定が出たので決めた。会社訪問の際に積極的な社風を感じて、「入ってみたいな」と思っていた。
システムなど専門性を持った人を除き、同期の約120人が事務部門の内務部に配属された。火災保険や自動車保険などに分かれ、1年2カ月、書類の処理をしながら損保の基本を学ぶ。火災現場での実習に手を挙げて出たのが縁か、次に名古屋保険金サービス部の火災新種保険の担当へいく。
現場で確信した「お客第一」の心
日本経済が右肩上がりの時代、損保業界ではやればやるほど伸びた営業部門が花形。やはり「営業へいってみたい」との気持ちはあったが、振り返れば、保険金の支払い部門での経験が「お客第一」の心構えの原点となる。
愛知、三重、岐阜の三県で、企業の火災や機械の事故など火災新種の全保険を扱った。医師や弁護士の賠償保険など特殊な保険もあり、約款の解釈が難しく、保険金の査定のために本気で勉強した。1年もたつと、営業拠点や代理店の人がやってきて、約款の解釈を尋ねられるようにもなり、学ぶ楽しさと同様に教える喜びも知る。
同時に「お客第一」の実感も、膨らんでいく。営業の仕事は代理店を通じてが大半で、お客との接点は少ない。だが、保険金の査定では、自宅が全焼してしまったとか家族が事故で亡くなったとか、お客が本当に厳しい局面で、直に話す機会が多い。そこで最善の対応を考え、すごく感謝されて、「お客第一」が自然に身についた。
その後、本社の保証保険室、都内の上野支社、本社の営業企画部門、埼玉の自動車営業部、本社の保険金サービス企画部の課長と、第一線と本社で交互に勤務し、冒頭で触れた人事課長に就く。数年おきに現場に出たことも、「お客第一」の確信につながった。