努力を重ねれば成果は圧倒できる

1992年9月に東京支社の特約店営業部の副部長になり、2年やった後、部長も1年務めた。都内にある酒類の国内大手卸7社の本社を担当し、各社を訪ね、各地域の卸会社へのアサヒビールの販売量を増やしてもらうよう、頼んで回る。40代前半の3年間だ。

アサヒグループホールディングス 社長 小路明善

日本初の辛口生ビール「スーパードライ」を発売して5年半。爆発的にヒットはしていたが、大阪が発祥の地であるアサヒに対し、首都は東京を本拠とする同業2社の牙城。大手卸がビールを売り渡す地域の卸会社には、その2社の特約店が多い。だから、大手卸に「今月は、あと10万ケース(1ケースは大瓶20本)やって下さい」と頼んでも、他社の特約店に食い込むのは至難の業だった。

でも、誰よりも多く、7社に通う。後で触れるが、新人時代に身についた「成果=能力×努力」の確信がある。仮に能力が同じか多少負けていても、誰にも真似ができない努力を重ねれば、成果で圧倒できる。もう1つ、支社に属する支店の課長時代に会得した「非凡な努力」への信念もあった。

ライバルの牙城を崩すには、大手卸にプラスとなる策の提案も重ねた。その先には、競争相手の特約店になっている地域の卸も、視野にある。「アサヒの特約店にもなってもらおう」。敵も味方も、考えもしない、大胆な狙いだ。

特約店となれば、大手卸経由ではなく、ビール会社が直送する。蔵出しの価格になり、大手卸が乗せるマージンがなくなるから、仕入れが安くなる。流通の世界の壁は堅固だったが、部下でさえ驚くほど通い続け、大手卸の取引先だった地域卸2社を、アサヒの特約店にできた。当然、大手卸に怒られた。でも、「スーパードライ」が「もう扱わないぞ」とは突き放せないほど強力になっていて、対立には至らずに済む。