「公平よりも無私が難しい」

2002年7月、入社して23年目の安田火災海上保険が、日産火災と合併して損害保険ジャパンが誕生した。安田の人事課長になって丸2年、44歳のときだ。5カ月後には大成火災も合併、社員は計1万7000人近くに達し、その再配置が急務となる。身の振り先は、人事課長が2人制だった安田の先輩課長と、日産、大成の人事課長との4人で決めた。

損害保険ジャパン日本興亜 社長 西澤敬二

 

合併時の人事は、難しい。異動や昇格に共通のルールがあれば、機械的に決めていけるが、普通は基準も仕組みも違う。最も苦労したのは、企業文化の違いだ。安田では、本社の課長代理が地方勤務ではあっても支社長に昇進するのは大栄転。だが、他社の人事課長は、本社の人間の支社長案に「彼はエリートだ、地方へ出さないでくれ。昇進しなくていいから、本社に置いてくれ」と主張した。