「ヒントとなったのは、フランス映画の『旅路の果て』という芸能人だけが入る老人ホームの映画。もう一つ、ヴェルディの憩いの家という音楽家だけが入れる老人ホームが現実にミラノにあるんです。そういうイメージがまずあって、実際に知り合いが入っている老人ホームを訪ね歩いたりしていたことが形になったんですね」
この作品の核は、苦楽をともにした仲間たちと、かつて輝いていたテレビという箱への倉本さんの愛だ。
「まず考えたのは、誰がなぜ『やすらぎの郷』を造ろうとしたのか。施設の運営にはいくらぐらいの金がかかるのか。個人資産が1兆円ぐらいあって、賛同してくれる人の金を集めて2兆円ぐらいという設定で、それをテレビ界、芸能界で儲けた連中が私的に出していることにしたんです。施設を造った理由は、自分たちが育てた者を最後は冷たく捨て去ってしまったという悔悟の念から。これは大原麗子のことが頭にありました」
浅丘ルリ子らと並ぶ大スター女優だった大原麗子は、2009年に自宅で倒れて急死した。死後3日経って発見されるという孤独死だった。一世を風靡したサントリーウイスキーのCM「すこし愛して。ながーく愛して」という彼女のナレーションの声が『やすらぎの郷』の創設のきっかけとなった、孤独死した女優の声として劇中にも引用されている。
「もう一つの核は八千草さんが演じている戦前からの女優の話ですね。戦時中に役者や映画監督がどういう扱いをされたか。特攻基地に密かに連れていかれて、特攻隊員たちが出撃する前の最後の晩餐に付き合わされたというのは、実話です。古い女優さんから聞いて、すごく印象に残っている話なんです。そういうようなことをごった煮のように詰め込んでドラマを作ったわけです。やりたい放題やっているので『やりすぎの郷』なんて言われていますが(笑)」
『やすらぎの郷』の住人には戦争体験者も多い。倉本さんの世代にとって、今のきな臭い時代の空気はどう感じられるのだろうか。
「まず総理大臣をはじめ皆さんが戦争の実体を知りませんよね。まず自分は戦場に行かないというのが大前提。自分がグサリと刺されたり、爆撃を受けたりするイメージがない。
国のためと言うと今の人たちは拒否反応を示しますけど、家族のためとなると違ってくる。僕ら戦争中の人間は、家族のためというのがいちばん大きかった。米ソ冷戦時代でも、ミグ戦闘機が毎日のように飛んできて、北海道にソ連が攻めてくるかもしれないという時期があったんです。そのとき、自分はどうするか、かなり具体的に考えました。まず山の中へ逃げるだろうけれど、カミさんや親しい人たちが捕まってしまったらどうするか。そのとき、僕は戦うだろう。家族や仲間を守るためには、相手を刺したり、ぶん殴って殺したりするだろうと思いました。暴力や残虐性は自分の中にあるし、人間の本性として家族が暴漢に襲われて拉致されかけたら戦うでしょう。しかし、今の政治家や官僚はそのイメージが持てているのだろうか。疑問ですね」
ドラマでは、郷のスタッフの若い女性が乱暴される事件が起き、老人たちが立ち上がり犯人を懲らしめるというエピソードがあった。女性は体を張ってでも守らなければならない大切な存在だ、という男たちの想い。藤竜也演じる秀さんが若者たちに向かって「戦争とはこういうものです」と言うシーンが印象的だった。