生産性よりも創造性

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
http://wakashin.com/

もちろん、ただ時間が長ければいいと言うわけではありません。夜通しの会議なんて、頻繁に設定できるわけではないし、ほかにやることだってたくさんあるわけです。
 
ただ、2時間程度の時間設定における問題は、やはり「終わり」を意識してしまい、逆算的な成果や効率を強く意識してしまうということだと思います。何かに気づいても、結論に結びつきそうじゃない発言は控えようとしてしまいます。

重要なのは、「時間に区切られている」という感覚を忘れることです。本当の意味で「エンドレス」などということは不可能だけれども、「何時に終わる」と決めずに、「いつ終わってもいい」くらいの解放的な状況が必要です。

それが、「生産性の高い」ことなのかどうかは分かりません。少なくとも、「生産性」を考える上で時間の概念は外せません。しかしそれは、一定の時間ごとにある程度のたしかな生産が見込めるような作業工程に入っている場合の話です。そもそも、何が生産されるべきなのか、それすれも模索しないといけない「創造の過程」においては、議論における予想外の変化や広がり、その場の深まりが大切です。生産性は、その後決まったことを愚直にやるときに発揮するものです。

会社や社会活動の中には、普段は棚上げしてしまっているややこしい問題もたくさんあると思います。本当は、じっくり話し合ってなんとかしたいけど、1時間やそこらの会議では何回やっても進まない。いつの間にか「魔物化」していきます。こういうものはもはや「解決」しようとするものではなく、それをきっかけに何か別の新しいものをつくりだすきっかけにするほうがよいのかもしれません。そして、終わりと着地を意識しない会議(というよりも「場」)を設けてみることで、意外な発展や創造につながることもあるんだと思います。

すべての会議をダラダラにすればいいわけではありません。そこは、使い分けだと思います。ものすごく効率的にしたものと、とことん解放的なもの。これをうまく共存させていくことができたら、会社も学校もまだまだ面白くなっていくんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか?

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