ニーチェの「舞踏」の概念は、現代の科学の言葉では例えば米国の心理学者、チクセントミハイの「フロー」につながる。フローにおいては、行為の目的は問われない。行為すること自体が報酬となる。そして、フローの中にあると、人は時間の経過や、自分の存在を忘れてしまう。
恐らくニーチェも、哲学について考えたり、著述している際に、現代の私たちが言うところの「フロー」を経験していたのであろう。その経験から、意味を問わず、心身を動かすことの大切さを説く「舞踏」の概念に到達したのに違いない。
そのように考えると、哲学は、決して、人生を離れた抽象的なものではない。むしろ、私たちの日常に関わる、身近な存在なのである。
しばしば、「仕事の意味がわからない」とか、「やる気が出ない」というような相談を受ける。そのようなとき、「意味ややる気は必要ありません」「ただ、目の前のことをやればいいのです」とアドバイスするが、そんな考えの背景には、実はニーチェの哲学がある。
現代の経済を支えるイノベーションや自由競争も、ある意味ではニーチェ的「舞踏」の例だと言える。ニーチェが切り開いた現代的な感性が、今の私たちの日常につながっているのだ。
人生に行き詰まったときは、哲学書を開くといい。自分の根っこを再点検するためのヒントが、たくさん詰まっている。