「ゴミを見たら拾う」父の背中を、子どもは見ている
【思春期の子どもへの留意点2.リスペクトされる生き方を貫く】
もし父親が子どもからリスペクトされる存在になったなら最強だ。しかし、それは社会的成功を収めることや経済力とは必ずしもリンクしない。
いろいろな学校の先生に話を聞いて、リスペクトされる父親というのは実は当たり前のことを当たり前のこととしてきちんとやっている人なんだということに気が付いたのだ。
当コラムで掲載させて頂いた「『子供を潰す・伸ばす』父の習慣と口癖5」(http://president.jp/articles/-/19889)で書いたが、ある難関校の先生はリスペクトされる父親の条件をこう言い切った。
「『ゴミを見たら拾う。ゴミは分別して捨てる』つまりこういうことだ」
「結局、人としてきちんと生きている父親が子どもから尊敬され、子どもの安心安定を呼び込むのだ」
もう少し具体例を挙げてみよう。
かつて知人(サラリーマン、当時56歳)のお子さんが就活に苦戦していたことがあった。やっとの思いで就職した先は志望職種ではなかったようだったが、そのお子さんが働き始めた時に知人に向かってこう言ったらしい。
「親父、なんか今までごめん。俺、今までずっと、親父に対しても好き勝手言って困らせてた……。そんな時でも親父は何も言わず、黙って、あんな満員電車に毎日揺られてたんだな……。俺、当たり前だと思ってたけど、当たり前じゃなかったってことに気が付いたよ。親父は30年以上も同じ会社一筋でサラリーマンやってるんだって思ったらなんて言うか……、ホント、尊敬した」
知人は「俺、いろいろあったけど、なんかこれだけで報われた気がしたわ」とうまそうにジョッキを口に当てた。私は知人の目の奥に光るものを見て、単純に「親子っていいなぁ」って思ったのだ。
子どもからリスペクトされる父親に間違いはない。そして、母親の有形無形の下支えについても子どもは尊敬するはずだ。