2人の子どもを育て上げた教育アドバイザーでエッセイストの鳥居りんこさん。その経験も踏まえ、子どもの心に親の言葉をどのように刻めばよいか、いかに効果的に子どもに親の愛ある爪あとを残せばいいかをつづってもらった。
もしも、自分が余命数年なら……子どもに何を遺すか?
昨晩、友と飲んだ。友の子どもの就職内定祝いだ。友は友の子が小学生だった時に事故でご主人を亡くし、以来15年、女手ひとつで懸命に子育てをしてきた。
友は言った。
「息子を無事にここまで育ててこられたのは、主人のお父さん、お母さんの助けも大きくて、私一人ではとても無理だったと思うけど、でもね、りんこ、私は一番、誰よりも主人に感謝しているの」
何でも、小さな事であっても、迷いが生じた時には必ず仏壇の前に座ってご主人と会話を重ねてきたんだそうだ。
「もちろん、私の妄想と言われたら、そのとおりなんだけど、でもね不思議と答えをくれるんだよね」
そして、彼女は言った。
「息子も同じ気持ちなんじゃないかなって思うことがある。息子は生きているお父さんとは深い話をする年齢には達してなかったけど、いろんな人が息子に『お父さんはこんな人だった』っていうことを話して聞かせてくれるから、それを記憶の中の父親と繋ぎ合わせるんだろうね。私と同じように、何かに迷ったり、負けたりしそうになったときに心の中でお父さんと会話してるみたい。『親父だったらどうするかな?って考える』って言ってたことがあるから……。ねえ、りんこ。そう考えると、親って死んでも子育てしてるんだね……?」
私はこの夏『わが子を合格させる父親道』(ダイヤモンド社)という本を上梓させてもらったが、それを書いている間中、考え続けたことがあった。
渦中にいると気が付かないのだが、子育てはアッと言う間に終わる。子どもと一緒に過ごせる時間は自分が思うよりもずっと短いのだ。わが子が手元にいる短い間に親は「人としてどう生きればいいのか」を全身で語り、やがてわが子がひとりで生きて行けるように巣立たせねばならない。
生き物の宿命として子よりも先に寿命を迎えてしまう親がやっておかねばならないことは何だろうと。
もしも、あなたの余命があと数年であったならば、わが子のこれから先の未来を支える「杖」として、あなたは何を優先して遺すだろうか。
ここでは、そういう視点で、子育てがいよいよ苦しくなる「わが子の思春期」のときにこそ父親(もちろん母親も)が気にかけておかねばならないことを提起してみたい。