手帳に「夢」を書いて起業~上場を実現!
【熊谷】当時は仕事のほかに、放送大学に入学し、通信教育の学習をしていました。朝から晩まで働いて、家に帰ってから勉強を続けていた。
【弘兼】それでどうしたんですか?
【熊谷】「将来、こうありたい」というのを手帳に書いたら、胸がスッとしたんです。目の前がぱっと明るくなる、トンネルの外に光が見えたような感じでした。それから「こんな勉強をしたい」「こんな家に住みたい」「こういう生活をしたい」と、将来やりたいことを手帳に全部書き出していきました。
【弘兼】目標を可視化したわけですね。
【熊谷】次にその目標に優先順位をつけて、自分の将来をこうしたいという年表をつくっていきました。僕はそれを後に「未来年表」と呼ぶようになりました。20歳から先の35歳まで「15年計画」というのを立てたのです。
【弘兼】その未来年表に書かれたことの一つが、35歳までに自分の会社を立ち上げて、上場することだった。
【熊谷】ええ。結果としては、35歳ではできず、36歳と1カ月で上場しました。
熊谷は91年に「ボイスメディア」を創業。これが後のGMOインターネットとなる。95年にインターネット事業に参入し、インターネットのインフラ事業に軸足を置いて事業を拡大してきた。99年には独立系インターネットベンチャーとして初の上場を成し遂げた。
その後、ネット広告・メディア、ネット証券、スマートフォンのゲーム事業にも進出。2016年6月時点で、GMOインターネットグループは、上場企業9社を含む、グループ89社、スタッフ4900人超、15年の連結売上高1263億円、営業利益は148億円と過去最高を記録している。
【熊谷】34歳のとき、20歳でつくった15年間の年表があと1年で終わると思い、「55カ年計画」をつくりました。様々なケースを想定してエクセルに入れていくと、90歳までの目標売り上げは10兆円、従業員数は20万人になりました。
【弘兼】壮大な数字ですね。
【熊谷】ちょっと大きすぎるように思ったのですが、当時のトヨタ自動車とほぼ同じ規模ですので、実現可能な範囲だと思っています。
【弘兼】その予定は順調ですか?
【熊谷】07年度に大失敗し、だいたい7年前後遅れています。今はその失敗をする前の状態にまで立て直したという状況です。
【弘兼】05年に買収した消費者金融会社の過払い金返還の件ですね。引当金積み増しが経営を圧迫して、金融事業から撤退。結果、約400億円の損失を出し、倒産の危機にあったようですが、どう乗り越えたのでしょうか?
【熊谷】それもやはり手帳でした。その日のスケジュールの一番上に“弱気にならない、諦めない”という言葉をおよそ2年間、毎日、写経のように書き続けていました。本当に会社が潰れそうになりましたから。