価値観の転換を世界に発信できるか?
僕たちのこれからの仕事やライフスタイル、消費サービスのあり方なども、この東京五輪の問題と同じく、“質の違うもの”や“新感覚のもの”を求める方向に進んでいくはずです。
最近、母親が新しく軽自動車を購入しました。請求書を見たら、230万円だったので驚きました。「こんなに高いのなら、普通自動車を買えるじゃないか」と言って問い詰めてみると、軽自動車のレベルはかなり上がっていて、走り心地は昔のように悪くないし、小回りが利いて、燃費もいい。安全性や快適性は大事だから、最新のナビや四方が映像で確認できるセンサーやモニターもフル装備でつけている。音響も抜群。そこまでオプションを整えて、最高に乗りやすい状態にしても、この金額で収まるんだ、ということでした。
どうやら最近は、そうやってあえて軽自動車を充実した乗り物として購入するというユーザーが多く、大きな売り上げになっているようです。要するに「必要以上に大きなものは無駄」であり、必要最小限のスマートさの中に機能の充実や快適さを求める人が増えているのだと思います。
正直、母親の購入した車に乗ってみて、「軽自動車なのにこんなにすごいのか!」という感動を覚えました。これなら、狭いスペースでも安全に駐車できる。今の日本の技術力や成熟度の高さを、確かに感じました。そして規模やステータスではなく、質の高さや新しい体験を求めて価値観が転換する時代が、いよいよ本格的に到来したのだと確信しました。
本来、“二度目のオリンピック”である東京五輪は、そんな価値観の変化や転換を先取りして世界に発信できる絶好のチャンスだと思うのです。しかし、そのためには、これまでのやり方や価値観はいろいろ手放していく必要があります。そして、オリンピックが規格化された国際大会である以上、どうしても変えることができないルールやシステムはたくさんあるでしょう。であれば、いっそのこと東京五輪ではなく、「東京六輪」のような新バージョンの番外編みたいなものにしてしまえばいいのに、とすら思うのですが、そんな僕の声が届くことなどは決してなく、2020年の大規模で盛大な祭典は大成功で終わるに違いありません。