買収が問題になるくらい待望されていない
リオ五輪が開幕しました。治安のことや選手村のことなど、本筋以外でもいろいろと話題になっています。そして4年後は、ふたたび東京にオリンピックがやってきます。訪日外国人の増加や経済効果などが期待されると言われてますが、特に若い世代の人たちは、なんだか冷めているように思います。
僕もこれまで、若者との会話で東京五輪に期待するような話題で盛り上がったことは一度もありません。マスメディアで散見される「2020年に向けて」というようなフレーズは、どこか一人歩きしていて、なんだか虚しい感じがします。
オリンピック招致をめぐって買収疑惑が報道されたときには、「競技場にもお金がかかりすぎだし、買収に何億ものお金を使うくらいなら、オリンピックなんてやめてしまえ」という声が特に若者の間で多くあがりました。でも僕は、別に競技場や買収の金額が問題の本質だとは思っていません。たかが数億円の買収行為に対して「やめてしまえ」という声があがるほど、今の東京ではオリンピック開催が待望されていないのではないか――。これが僕の仮説です。
そもそも2020年の東京五輪は、1964年の東京五輪とは意味合いがまったく違います。オリンピックには、「開催することで先進国の仲間入りを果たす」といったような、先進国への登竜門としての格別なステータスがあると思います。日本にとっては、前回の東京オリンピックはまさにそうで、世界を代表する国々や都市と肩を並べるくらい経済的発展を遂げた象徴として、またそこからさらに発展するためのエネルギーとして、国民のほとんどが開催に歓喜したようです。その点では、今回、南米初のオリンピックを実現したリオデジャネイロも同じだろうと思います。
しかし、今の日本はすでに先進国の代表格であり、東京でいえば、現在の「都市GDP(GRP)」はなんと世界1位です(さらに、2025年までは1位が継続されるとも予想されています)。再度オリンピックを開催したからといって、東京の認知度が今以上に急激に高まったり、激的な経済発展につながったりするとは考えられません。すると、たった数億円の買収費用ですら「もったいない」し「くだらない」となってしまう。仮に、新興国が念願の初開催を手に入れたのであれば、おそらくこの程度のことは「必要悪」として(国民感情としては)問題にすらならないはずです。