引き渡し後、一部の船で船体の塗料が剥がれ、船主から「事前の下塗りか、その前の下地処理が悪かった。だから、補修は造船所がやれ」とクレームがついた。すると、建造現場から「協議は、シンガポールでやることになった。でも、英語でのやりとりは大変だから、いってほしい」と頼まれる。現場の1人を連れて、赴いた。

相手の言い分は、素直に聞く。ただ、微妙な言い回しのなかに、過大な要求が潜んでいれば、聞き逃さない。一緒にいった現場の担当者が、帰国して上司に「加藤さんは顔色も変えず、言うべきことはずばっと言っていた」と報告したと聞いたが、感情的にならず理に適った主張をすれば、世界でも通用する。補修は引き受けたが、妥当な費用負担に収めた。

振り返れば、プロマネには知識も大事だが、最終的には「どれだけ誠実に対話できるかという人間力」だ、と思う。相手に、どこまで信用してもらえるか。「特定の人間を贔屓にせず、全体のバランスをみてベストの解、つまり全体最適を目指す人だ」と受け止めてもらえるか。そうなれれば、痛みを分け合うこともできる。当時は次々に悩み事が出て、大変だったが、それが、きっと糧になった。

会社の収益を長きにわたって支えたLNG船との出会いは、30代前半だ。英国留学で構造設計を学んで帰国すると、上司が注目してくれ、ブラジル向け液化石油ガス(LPG)船の設計の下請け仕事がきた。当時、会社はLNG船の設計ライセンスを買い、先輩が解析を始めていた。自分もその予備軍だったのか、LNG船の勉強に誘われる。そこからLNG船ひと筋とも言える歩みが、始まった。

当時、LNG船は同業2社だけが手がけ、三井造船は実績ゼロ。ところが、大阪商船三井船舶(現・商船三井)から「おたくも、やれるようになりませんか」と誘われた。まだ態勢は確立していなかったが、挑戦が好きな企業文化。2隻の契約を結ぶまでの約2年、準備チームに入り、船上に据え付ける球形状タンクの材料となるアルミ合金の仕様を担当した。