大和との統合は、2002年3月に発表された。その数カ月前、交渉チームと大阪の御堂筋にある大和本店を訪れる。初対面の相手と挨拶が済むと、いきなり「埼玉りそな銀行を、何でつくるのか」と切り出した。相手は、びっくりした顔になる。埼玉りそなの分離設立は、両行の首脳間で合意済みだったからだ。あさひは、東京が基盤の協和銀行と埼玉銀行が、91年に合併して生まれた。ともに個人取引に強く、埼銀は埼玉県や県内市町村の資金も扱い、地域密着度が高かった。その強みを残すため、切り離し、業務を埼玉県内に絞った銀行とする構想だ。
だが、埼銀は、県内で集めた預金のかなりの部分を東京で融資して、利益を出していた。「県内業務だけで、やっていけるのか」。そんな懸念を、感じていた。双方の交渉チームが、そういう課題をよくわかったうえで、協議を進めなくてはいけない。だから、その後も、基本的なことでも、当たり前と思うようなことでも、1つずつ確認していく。「理屈っぽい」と受け取った人もいたようだが、実は、自分自身にも問いかけ、確認していた。それが、東流だ。
「智莫大於闕疑」(智は疑わしきを闕くより大なるは莫し)――本当の賢さとは、疑問点やあやしい点がないようにすることだ、との意味だ。中国・漢の劉向がまとめた説話集『説苑(ぜいえん)』にある言葉で、どんなときも、あやふやな点を質すことの大切さを説く。たとえトップ同士が決めたことでも、その本旨や関係者の理解度を確認する東流は、この教えに通じる。
大和は、先に近畿大阪銀行、奈良銀行と持ち株会社を設立し、あさひはそこへ加わり、埼玉りそな以外の部分は2003年に大和銀行と合併してりそな銀行となる。持ち株会社はりそなホールディングスに改称し、その下に4つの銀行が連なった。注入されていた公的資金は、総額で1兆1680億円。大きな重荷を背負ってのスタートだったが、「智莫大於闕疑」を貫いて、足場は固まっていた。