社会保障と安全保障の2つの共通インフラ

【塩田】一度、自民党を離党して野党を経験したこともありますが、現在の政党の状況と日本の政治の現状をどう見ていますか。

【野田】最も大切な近代史が日本では全体的に総括されていないと思っています。よくドイツと比較されますが、アドルフ・ヒトラー(元ナチス総統)の人種政策とは質が違う。一方でヨーロッパは第2次世界大戦で大変な地上戦をやった後、東西冷戦を迎えた。独仏は、ソ連という共通の脅威を抱え、歴史的な対立の壁を乗り越えて同盟を結んで結束し、ECからEUへと歩んだ。ドイツは独仏間の積年の領土問題で譲歩したほか、プロシャ時代の固有の領土の4分の1くらいは失ったのですが、今日ではドイツはEUの要です。独仏同盟を命綱と思っている。

ところが、日本は違う。戦後、アメリカの庇護の下にいて、国内の保革対立より東西対立があった。ここが異常で、日本の政治の不思議なところです。国の立ち位置について、依存症的発想が強すぎたと私には見えます。それは今日、まだ生きていて、いびつです。共通の脅威が存在していれば、日本も独仏みたいに日中韓同盟になれたかもしれない。一時、そうなるかなと思ったこともあった。日米中の関係が良好だった中曽根康弘内閣時代に日本発で東アジア共同体をわれわれは提唱した。だが、うまくいかなかった。

ドイツは分断された中で大連立を経験している。ここがポイントです。大連立だから、安全保障でも社会保障でも、政権が代わってもひっくり返るような致命的なことにならなかった。日本の場合は、万年与党と万年野党だったから、自民党が横綱相撲で、正しいことはやらなければと泥を被る形が続いた。もう限界となったとき、本当は一度、未来のための大連立的な形でやってみればよかった。そのタイミングはあったのに、しなかった。

【塩田】それはいつの時代のどんな場面ですか。

【野田】自社さ連立の橋本龍太郎内閣のときです。一番大事なときに対決型になった。小渕恵三内閣になってわれわれは一時、自自連立、自自公連立をやり、できれば大連立的な形でやったほうがいいと思った。ところが、その後、小泉純一郎首相が出てきて、対決型になった。その後、民主党政権のとき、われわれは社会保障について3党合意を成立させることができたけど、これは民主党が政権を取って初めて現実の政治責任を実感したからだと思います。

これから先はできれば大連立型で、共通のテーマについて共通のインフラだけは崩さないというふうにしておきたいと思っています。政権交代はあっていいが、社会保障と安全保障の2つは、基本的に大きなぶれがないようにしなければ、というのが私の信条です。

【塩田】日中協会の会長でもありますが、現在の日中関係をどう見ていますか。

【野田】時代が変わり、かつての謙虚な中国ではなくなった。力が付き、金が貯まると、人間、金で勝負したがる。そういう意味で、金の力を借りた傲慢さが目立つようになっています。世界中が警戒し、場合によっては顰蹙を買っているところもある。これは中国自身の問題です。いずれ自己反省するときがくる。だんだんそうなりつつあると思います。ですが、日中は、大きな目で見れば、いがみ合ってなんのプラスもない。乗り越えるのは当然だと思うけど、そういう状況になっていません。どうやって乗り越えるかです。

長年、日中関係に携わってきて、率直に思うのは、日本人は本当の反省をしていない。世代が変わり、今は国民も政治家も歴史を知らない人が増えた。「いったい何回謝ればいいんだ」くらいの話です。だけど、歴史を正当化するようなことを言うから、また謝らなければならない。一度、謝罪して、後になって「あれは本当は悪くなかった」なんて言う。何回も謝り、何回も正当化しようとするからそうなる。私にはそう見えます。

本当に謝っていなかったんです。われわれの先輩は中国でいろいろひどいこともやった。戦場は大陸で、犠牲者は全部、向こうで発生している。中国との関係で言えば明らかに侵略戦争といわれてもやむを得ない。日中国交正常化のとき、中国はあれだけの大きな犠牲を出しながら、「悪かったのは一握りの軍国主義者、政治指導者、後はみんな被害者」ということで整理して、一銭も賠償を取らなかった。当時の周恩来首相は、小異を残して国交正常化という大同についた。

いわゆる「歴史認識」問題、これは根本で、賠償放棄まで関連する話です。正常化の原点だから、こだわりがある。絶対に譲れない。ところが、中国から見れば、侵略の責任者である人物を国交正常化後に神様にしてしまった。

【塩田】靖国神社の問題ですね。

【野田】分祀するか、参拝しないか。そこさえはっきりなれば、ほかの問題は双方知恵を出せば解決できると思う。