負けたとき気持ちを立て直せなかった
――何が変わったんでしょう?
「一般社会でいろいろ揉まれる中で頑張ってきた誇り、みたいなものが……ちっぽけですけどありました。人間として少しずつ成長できた。そうでなかったら、編入試験も通らなかった気がします」
――具体的にいうと?
「人間関係、でしょうか。例えば接客にしても、いかにお客様の立場に立ってものを考えるか。調理ならどれだけ見た目を美しく、味をよくすればいいか。あるいは人と接するときは自然に笑顔で接する、とか」
――でも、将棋は個人競技ですよね?
「本当に極端にいえば、将棋は勝っていればいいんです。でも、一般社会は違う。人は他人に助けて貰わないと、本当に生きていけません。職場でも他の人に無言で助けてもらったことなんて、数え切れないほどあります。一流企業で学ばせて頂いたことは大きかった。こんな身勝手な人間をよくぞ使って頂きましたと言いたい。尊敬する上司にも多数出会いましたし、雲の上の人だなと思う方もおられます。畑は違えど、そういう方々を目標にして歩みたいという思いを、今は強く持っています」
――将棋の技術が上がったわけではない?
「会社員としてガムシャラに働いていたら、将棋の神様が、『わかった。じゃ、もう1回チャンスをあげるから、こっちに来なさい』と引っ張ってくれた、というほうが実感に近いですね」
将棋という己の力のみが拠り所の世界。ずけずけとものを言う反面、「神様」「運」「流れ」といった言葉を口にするプロ棋士は少なくない。プロ同士の技術的な差は、素人目からはほぼないに等しく、極めて狭いレンジの中に天才・俊英がひしめきあっている。
それだけに、技術とは違う何かが勝敗を分ける。それがいったい何かということを、彼らは常々肌身で考えている節がある。
07年、編入試験合格者の第一号として、三段リーグで再挑戦することに。今度は4期2年以内に四段に昇格、という新たなタイムリミットが付く。
一期目が最大のチャンスだった。2連敗後に9連勝と堂々、首位を快走。が、そこから「怒涛の5連敗」。昇段の圏外に去った。
「勝っているときはいいんですが、負けたときに気持ちを立て直す術を知らなかった。敗因を突き詰めたり、検証したりもしなかった。どこまでいっても己の才能頼みという部分は、以前と変わってなかったかもしれません。でも、才能だけで勝てるのは、まあ5割程度。昇段となると、また全然違いますから」
2年間、それ以上のチャンスはついに訪れず。09年、再度の退会。
「もう1回落ちました、爽やかに(笑)」
おどける口調に、傷の深さが垣間見える。
「今だからいえますが、目の前の一歩、一歩は本当に将来に繋がるのだから意味があるんです、絶対に。どれだけ苦しくても、確実にやるしかない。なのに、それが見えていなかった。やらなかった。勝負の世界だから、そういう人間にはさらっと制裁が下ります」