「変える必要もないし、変えられない、あるいは変えるのが億劫だということになったら、そのときは僕が引退するときだ。変えられる間はまだまだ頑張れる」
これは、羽生善治さんとの対談で私がお話をさせてもらった言葉です。私はそれぐらい必死の心構えで自分を変えてきたつもりです。
私が50歳を間近にして、名人位を獲得できたのは、40歳というすでに若くない段階から「変化」を試みたことへの神様からのご褒美だったと思っています。
人間は「変化」できなくなったらもう終わりです。私自身、「変化できなくなったら引退しよう」と心を決めており、また実際にそうしました。
人は日々成長します。10歳のときよりは20歳のときのほうが、知識も経験もはるかに増えている。
ところが人生も40年、50年生きていると、あるときふっとその知識や経験にカビが生えていることに気づくわけです。老化とともに体力や思考力が衰えてくるのは致し方ないとしても、本来衰えないはずの経験や知識までもが腐っていることに気づく。
それが40歳ごろの私でした。
しかも悔しいことに、一番腐っているのは自分の18番(おはこ)の戦法だったりするわけです。これまで勝利してきた得意な手が、どうにも通用しなくなる。要するに時代遅れになってしまっているわけです。どんどん出てくる若手の棋士はピストルの弾丸のようなもの。そこで従来の自分のやり方に固執する、かつての勝者の末路は哀れです。頭でわかっていても行動できない。自分の思い込みや心理状況を冷静に分析することが必要です。