でも考えてみれば当然のことで、たとえば新築の家を建てたとしても、ピカピカの家に住む喜びに浸れる期間には限りがあります。引っ越した翌日も新築の家で、1年後もまだまだ十分新しい。けれども気がついたら30年も経っていた。もうとっくに新築ではありませんよね。あちこちガタがきているし水漏れもする。

知識や経験とはこのようなもので、身に付けたときは得意に思っても、いつかはカビが生えて使いものにならなくなる。

古くなった家屋を目の前にして、すべきことはただひとつ、改築しかありません。ここで必要なのは、新たな改装プラン、つまり「若さ」なのです。

思い切って若者のところへ飛び込み、彼らの「若さ」を学びとる。このときに「経験が邪魔をする」なんていっていたらダメで、若者の最大の特徴は、<不安>なのですから。大人は<不安>要素を回避するあまり、若者をバカにしがちだけど、宮本武蔵の『五輪書』を見ても「居つくことは死ぬることなり」とちゃんと書いてある。いまの自分に安心して居ついてしまうことは、腐って死んでしまうことなのだから、それが嫌なら変化するほかない。

しかし、いくら「若者に教えを請う」と言っても、世の中ギブ&テイクですから、ただ飛び込むだけでは無理がある。若者だって尊大な年寄りが自分たちのなかに割って入ってきたのでは嫌がるばかりです。「一緒に研究をする」という謙虚な気持ちと<情熱>がなければ、若者は去っていきます。これは男と女だって同じことです。尊大な男は嫌がられますが、謙虚さがあって、なおかつ堂々としている男はおおいにモテるのです(笑)。

時代は移り変わります。PCを駆使する新人と、鉛筆なめなめ原稿書いてきた古参の記者ではスピード感がまるで違う。そこは新しいことを取り入れて変化しなくてはならない。でも一方では、変えてはならない時機、ものがある。

タイミングで言えば、「悪手が悪手を呼ぶ」というパターン。人間だから一度の過ちは仕方のないことです。たとえば空き巣に入っただけならまだしも、そこで家人に見つかって殺してしまったとする。これこそ最悪の「悪手」です。一回目の「悪手」に動揺しても、そこで辛抱して冷静さを取り戻せるかどうかがその人の運命を左右します。

そして「人としてどうあるべきか」ということです。サラリーマンとして、経営者として「これだけは変えてはならない」普遍的なもの。その区別がつくかが、勝者としての条件なのです。

※すべて雑誌掲載当時

(渡邊清一=撮影)