私の行動指針「私心なかりしか」
稲盛氏の叱り方は、時に激しい。相手が盛和塾(稲盛氏が主宰する経営塾)の塾生であってもそうだ。筆者が以前取材した塾生(有名メーカーの社長)は「稲盛さんは、見ているこちらがいたたまれなくなるほど、厳しい口調で叱り続ける」とも話していた。
その話は聞いています。でも私自身にはそうした経験はありませんし、先輩方が激しく叱られていたという記憶もない。
時代性もあったと思いますよ。私も30代、40代の頃は、部下を激しく叱りましたから。それこそ灰皿を投げたり、怒鳴ったり。部下が震えることもありましたからね。やはり「アメーバ」のチームとしていい方向に導き、目標を経営トップを育てた叱咤激励の言葉達成するという使命感がありますから。
部下が自分の役割として、すべきことをしていないとき、いい加減に取り組んで判断を間違えたときは、真剣に叱りました。「怖かった」と言われますよ。
ほかに稲盛から間接的に学んだのは「フェア」という姿勢。フィロソフィでいう「動機善なりや、私心なかりしか」です。これは第二電電を創業する前に、稲盛が<自らの行動が功名心ではないか>を自問自答した結果、生まれた言葉です。
いまではこの「私心なかりしか」は、私の行動指針であり、座右の銘にもなっています。
稲盛氏の言葉で現場をくまなく
社長になって最初に稲盛から言われたのは「あなたは見てきた領域が小さいから、全社的に学びなさい」ということです。私の管轄だった機械工具事業の売上高は約300億円。全社の3%程度です。自分でも「3%社長」と言っていたほどです。そこで、まずは現場をくまなく回って、全事業の把握に努めました。
私の社長就任と同時に、稲盛は京セラ取締役を退任しました。以後、毎日出社するということはなくなり、意識して京セラから離れ、後進に任せようとしたのではないかと思っています。そのため、社長に就任してからも頻繁に会っていたわけではありませんが、重要な案件については、折々に直接相談し、教えを請うてきました。
アドバイスをもらうことで気づかされる点がありますし、抜けている部分を指摘されたこともあります。そのときでも、何かを厳しく迫られたという記憶はありません。私も周到に準備してから相談していましたし、稲盛も「社長」を立ててくれたのかもしれませんね。