コダックの牙城をどうやって崩したか

私は1996年から4年間、富士フイルム・ヨーロッパ代表としてドイツに駐在した。当社のヨーロッパでのシェアは当時20%台で推移し、40%のシェアを持つ米コダック社に水をあけられていた。私は現地部隊が万年2位に安住していることに納得できなかった。

これを逆転させる。私は当社の製品が品質もラインアップも事実上世界一であり、勝てないほうがおかしい現状を直視させた。これからはブランド力の戦いだ。そのため、世界初の「第四の感色層」を持つ画期的な新製品を投入し、数十億円を投じて大キャンペーンを展開する戦略を示して、それぞれの国で半年間でトップの座を奪う作戦を立てるよう求めた。

そして、私自身、戦い方を身をもって示した。現地の日本人社員は概しておとなしく、相手に一方的にまくし立てられ、黙ってメモをとっている姿がよく見られた。それでは納得したと思われる。私は交渉相手の難しい要求には「ノー」を突きつけ、主張すべきことを主張した。

小柄な日本人は体格のいい欧米人に交渉で圧倒されがちだが、五体すべての力で勝負すれば、相手から信頼を得られることを率先垂範した。現地の社員も販売代理店も万年2位意識を払拭。コダックの牙城を崩すことができたのも、「よいスパイラル」が循環し始めたからだ。

現在、私に課せられた課題は企業文化の転換だ。デジタルカメラが急速に普及する中で、わが社は写真フィルム主体から医療などの成長分野へ事業構造の転換を進めた。フィルムは光を当てると露光してしまうため、検査では欠陥を発見しにくい。工程を完璧に管理して不良品を一切出さないことが求められる。ここから何ごとも完璧主義の文化が生まれた。

しかし、これからは変化へのすばやい対応やスピード感のある挑戦、思い切った踏み込みが必要になる。新しいスパイラルにいかに社員を巻き込んでいくか、トップとして考えていきたい。

(勝見明=構成 川井聡=撮影)