女子高生の心をとらえた初期のヒット
コロナ禍のもとにある今、振り返っておきたいマーケティング・ストーリーがある。富士フイルムのインスタントカメラ「チェキ」のヒット、凋落、巨大再生の物語である。
チェキは1990年代の後半に発売され、年100万台というヒット商品となった。だが転機の訪れも早かった。販売台数は4年ほどでピークに達し、その後一気に縮小する。注目はその先の展開だ。
あきらめずにチェキの販売を続けていた富士フイルムは、現在、チェキを本格的なグローバル・ブランドに育てあげており、初期のヒットの10倍という大きな販売を実現している。なぜチェキは復活できたのか。その軌跡にはマーケティングの学びがたくさん詰まっている。
インスタントカメラとは、撮影後にその場ですぐにプリントできる写真フィルムを使ったカメラであり、ポラロイド社の製品が長らく世界的な王者の地位にあった。富士フイルムは1990年代に、独自の技術による新しい小型インスタントカメラinstaxの開発に成功する。このinstaxの愛称が「チェキ」である。
富士フイルムは1998年にチェキを発売した。これがヒットする。当時は、写真シール印刷機「プリクラ」のブームが続いており、小型軽量で、気軽に持ち歩いて使うことに適したインスタントカメラのチェキは、写真好きの女子高生たちの心をとらえた。チェキは人気を呼び、2002年には販売台数が100万台を超える。海外での販売もはじまった。
しかしこのブームは、長くは続かなかった。チェキの発売と同時期からはじまっていたデジタルカメラの普及に加えて、少し遅れて携帯電話へのカメラ機能の搭載が進む。インスタントカメラがなくても、撮影したその場で写真を見たり、データを交換したりすることが可能になるなかで、チェキへの需要は下火となる。2005年ごろにはチェキの販売台数は、ピークの実に10分の1ほどにまで落ち込んでしまう。