「やることはやった。新天地で生きてみたい」
中村は家族思いである。サンタバーバラの研究室には家族の写真が置いてあり、その周りを折鶴が飾っている。家族からの贈り物だろう。米国に住もうと思い立ったのは、3人の娘たちがいずれも「行ってもいい」と言ったからだった。
国際会議で知り合った教授がいた。スティーブ・デンバース。UCSBで同じ分野の研究をしている。「スレイブ・中村」の名付け親でもある。UCSBは発光デバイスの分野では世界のトップクラスだ。彼に強く誘われた。それに、住むのなら、幼い頃から親しんだ海の匂いのするところがいい。気分を清々しく健康的にしてくれる。
中村のリクルートに貢献したデンバース教授は「日本人はコンセンサスを大事にする人が多いが、彼はまず自分のやりたいことを主張する。生まれながら、アメリカ人のような性格です。こっちに来てもカルチャーギャップを生じはしないでしょう」と語る。
昨年(1999年)12月、中村は上司に突然辞表を出し、「明日から来ませんから」と告げた。それまでに噂が飛び交っていたから、上司は覚悟をしていたようだが、朝の全体集会で挨拶だけしてくれと言った。「やることはやったので、アメリカに行き、新天地で生きてみたいと思っております」と話した。
こうして、反逆児は組織から去った。しかし、反逆児は巨大な資産を組織に残した。2年前に比べると日亜化学の資本金はおよそ2倍、従業員も1900人、立派な中堅企業として頭角を現した。青色LEDやレーザーでは世界市場を席巻する。これも反逆児がいなかったら、実現しなかったことだろう。
サンタバーバラで、中村は時価1億円の豪邸に住んでいる。丘の中腹にある「ホープ・ランチ」という名の超高級住宅地で、実業界の大物やブラッド・ピット、ケビン・コスナーなどの別邸がある。大学が保証してくれる年収は16万ドル(約1700万円)だが、これは9カ月分。政府や企業から研究開発費を引き出したら、その中から3カ月分は給与として受け取ってもいいから、22万ドルにはなる。給与水準は普通段階を踏んで上がっていくが、中村の場合は一気に最高水準となった。