エベレストに下駄履きで登るような暴挙
中村(修二)が取り組んだのは、どのようなプロジェクトだったのか。青色LEDのことを、ここで少し説明しておこう。
電子を流すと光を発する半導体は、いくつもの薄い膜を重ねて作る。一つ一つの膜の表面は、化学物質が上下左右対称のきれいな結晶構造になっている。この結晶構造が、きれいに均一に広がっているほど、電子は強く速く無駄なく流れてくれる。
中村が青色LEDの開発に着手するまで、他の研究者はセレン化亜鉛を用いて結晶を作ろうとしていた。ところが、中村は誰もやらない窒化ガリウムを使うことにした。そのほうがきれいな結晶を描くだろうとは皆が知っていたが、この物質は、きれいな結晶をおいそれとは作ってはくれない。その道一筋でやってきた専門家から見ると、エベレストに下駄履きで登るよりも難しく思えた。中村に成算があったわけではない。もう一度自分をどん底に追い込んでみようと思っただけである。
結晶を作るには窒化ガリウムとか、セレン化亜鉛などの有機金属をガス状にして、サファイア基板に吹きつける。塗料を塗るようなものだ。その装置ができるかどうかが鍵である。有機金属気相成長装置と呼ぶ。成長とは結晶を作ること、気相とはガスのことだ。
開発を始めるに先立ち、フロリダ大学に1年間留学することになった。1988年のことだ。有機金属気相成長装置の勉強のためである。
だが、この留学は一つのことを除いて、無駄に終わった。彼らがやっていたのは、「ドアホウなことばかり」。中村がとうの昔に知っていることでしかなかった。教授や学生が「おまえはドクター(博士号)を持っているか」と聞く。「ない」と答えると、「なにか論文はあるか」。これもないと答えざるをえない。すると、手のひらを返したようにそっけない態度になり、相手にされなくなった。研究上の議論は一切してくれない。装置の組み立てなど、人手の要るときだけ呼ばれる。コンチクショーと呟いた。毎日、職工のような仕事をしている限り博士号など取れはしない。それなら論文を書いて、こいつらをギャフンと言わせてやろうと決意する。