「上司の許可なくして論文投稿を禁ず」

サファイア基板上にきれいな結晶が生まれているかどうかは、結晶の表面を走る電子の速度で計算できる。結晶が完全無欠のときに、電子の速度は最大となる。欠陥が多いと、光は一応放ちはするが、エネルギーが熱に転化して、結晶を壊してしまう。LEDの寿命がそれだけ短くなる。結晶の表面を走る電子の速度は「ホール移動度」で表し、これまでの世界最高は300だった。

1991年8月、その日の午前11時頃、研究室のコンピュータが白い紙に数字を打ち込んでいくのを見ているうちに、中村は「おおっ」と声を上げた。その紙には、(ホール移動度)測定値500と打ち込まれていたからだ。偶然一カ所だけがきれいな結晶になっているにすぎないかもしれないから、基板を手で割って、いくつもの破片にして何度も測る。数値は500前後を推移する。

この瞬間、中村はいわば「マッハの壁」を破った。あとはこの結晶膜をいくつも重ねていき、実際に青く光るLEDを作るのみだ。四六時中、研究室にこもって論文を書き、「アプライド・フィジックス・レターズ」という国際的に権威のある雑誌に送る。審査の厳しい雑誌だが、すぐに掲載された。

「論文を書いたことがバレて、クビになるなら、クビにせいと思っていました。でも、バレたときのために特許も同時に出しておきました。特許は会社のものになります」

論文を関西のメーカーが読んだ。大阪の営業部長に「日亜さん、なんだかすごい物ができてますね」と問い合わせてくる。営業部長は中村に「おまえ、青色LEDって知らんか」と聞く。「そんなん、知るわけないでしょ」と答えたのである。完全に組織の中の反逆児である。

やがて、あちこちから問い合わせがあり、ついにバレた。朝、会社に行くと、机に「上司の許可なくして論文投稿することを禁ず」という文書がぽんと載っていた。それでも無視して論文と特許を書き続ける。