なぜ中国から受賞者が出ないのか

北海道大学名誉教授 
鈴木 章氏

新聞によると、僕は「二宮金次郎」なのだそうだ。おそらくは郷里の弟あたりが漏らした一言から、そんな大仰なイメージが広まってしまったのだと思う。でも僕は、金次郎のように刻苦勉励するタイプの子どもではなかった。たしかにほかの子よりも読書は好きだったが、勉強ばかりしていたわけではない。ごく普通に学校へ行き、放課後は友達と走り回って遊んでいた。もちろん、いまの子と違って塾通いなんてしなかった。

僕は北海道の港町・鵡川の生まれだ。札幌の北海道大学に進学し、大学院を出てからはそのまま母校北大に職を得て研究生活に入った。アメリカへ留学した一時期を除けば、定年退職するまでずっと北海道暮らし。退官後に勤めたのも岡山県にある大学だ。

だからか、「地方出身、地方在住という逆境にもめげずに努力を重ね、ノーベル賞まで取った金次郎のような偉い男」という受け止められ方をしたらしい。しかし、その考えの背後には、「東京だけが情報発信の拠点だ」という日本ならではの特殊な発想があると思う。

世界を見渡したら、アメリカのハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)はニューヨークではなくボストンのしかも郊外にあるし、イギリスの大学都市オックスフォードやケンブリッジも首都ロンドンからはずいぶん離れている。地方分権が進んでいるドイツに至っては、有力大学の多くは田舎の小さな町に分散している。

すると、大学や知識産業が首都に一極集中している日本は、世界のなかではフランスと並び極めて珍しいタイプの国であることがわかる。日本の常識に照らせば僕は珍しい種類の人間かもしれないが、世界的に見たら普通なのだ。