おもしろければ報酬は関係ない
もっとも、博士の採用を手控えている企業側の事情もわからないではない。企業関係者からは「博士は会社に入ってからも自分の研究を続けたがり、業務として進める仕事をないがしろにする」といわれることがある。
実際、かつての教え子から「いまの仕事は自分のやりたい研究ではないんです」と愚痴を聞かされることも少なくはない。博士号を取り、企業に就職できたのだが、研究内容に不満があるという。
だが、それは甘えである。企業に就職した以上、その会社に役立つよう努力するのは当然だ。もし別の研究がしたいなら会社を辞めて、大学なり研究機関なりに移るべきだ。博士自身も、そういった心得違いを正さなければならない。
アメリカ人の場合は、そのあたりの意識を見事に切り分ける。そこは日本人も見習うべきだろう。
思えば僕がパデュー大学のポスドク(博士研究員)としてアメリカに渡ったのは1963年のことだ。あのころは固定相場制で、1ドル360円。ポスドクというのは学生と職員の中間くらいの身分だが、その報酬が円に換算すると北大助教授として貰っていた給料の4倍以上の額になった。
向こうは牛肉など食品の価格も安く、とても生活がしやすかった。いろんな意味でアメリカは輝いていた。ところが、いまは円高ドル安が進み、円は1ドル80円台と当時の4倍以上になった。あのころのような金銭的な魅力はなくなっているかもしれない。
当時はポスドクで渡米し、その後、アメリカ企業に就職するというパターンが多かった。ところがいまの日本人は、アメリカに残らず帰国してしまうという。
「なぜなんだ」とアメリカ企業の関係者から聞かれるが、理由のひとつは、こうした為替環境の変化であろう。
だが、僕がアメリカに渡ったのは、どうしても故ハーバート・ブラウン教授(79年にノーベル化学賞受賞)のもとで研究をしたかったからだ。給料4倍というお金の魅力がなくても、先生のもとへ押しかけていったに違いない。
おもしろいと思うことがあったら、報酬はあまり関係がない。仕事のしがいがあると判断したら、外国だろうと、どんどん出ていくべきだ。若い人にはそのことを伝えたいと思う。
※すべて雑誌掲載当時
1930年生まれ。54年、北海道大学理学部卒。59年、同大学院博士課程修了。61年、北大工学部助教授。63年、米パデュー大学へ。73年、北大教授。79年、ノーベル賞の受賞理由となったクロスカップリングについての論文を発表。94年、退官。