ところが、平等社会もよいことばかりとはいえない。日本では博士号取得者(博士)への評価が不当に低いのだ。
海外の常識では、学士と修士とではさほどの違いはない。しかし博士となると、企業においても扱いが劇的に変わり、報酬にも大きな差が生じるのだ。そのため学部を出てからいったん就職し、学費をつくったのちに大学院へ行く。そして学位(博士)を取ってから改めて就職するという人がアメリカでは珍しくない。
なぜ、博士は特別なのか。
博士は英語では「Ph. D.」と表記する。同じ「ドクター」でも医者と区別するためだが、意味するところは「哲学博士」である。哲学博士のうちで、理学なり工学なりの専門を究めたものを博士(理学)、博士(工学)と呼ぶのである。
だから専門分野は分かれるものの、真理を究明する知的訓練を受けているという点では共通している。その高度な知的訓練の成果を期待されているのである。
ところが、日本企業では博士の居場所があまりにも少ない。採用でも新卒の学士や修士ばかりを重視し、博士の採用には及び腰だ。技術系なら修士を採用して自社で教育する、というのが日本メーカーの人事パターンである。
しかし、企業が自前で人材を育てるといっても、それではどうしても自社のスケールを超えられないという問題に突き当たる。真理を究明するにはときに事業とは無縁のところにまで踏み出していく必要が生じるが、企業に所属している以上はそれができない。「スケールを超えられない」とはそういう意味だ。
一方、大学院では営利事業の制約がないところで幅広い教育を受けることができる。仮に企業に入ってから学位研究とは異なる仕事をするとしても、大学院で身につけた幅広い知識や問題解決方法は間違いなく仕事に生きるだろう。そのことを企業には考えてほしい。