「反逆児」が世界の「スター研究者」に

会社はノウハウが外に出ることを恐れ、論文を発表することを禁じていたが、構うものかと思った。論文すらないのでは、これまでなんのために汗水流して生きてきたのかわかりはしない。このあたりから、中村の思考空間は日亜化学という組織を超え、青色LED一色に染まって飛翔し始める。

またもや物の怪に憑かれたような毎日がやってきた。だが、徹夜などはしない。午後8時には家に帰り、必ず家族とともに食事をする。規則正しい生活をしないと、結果が出ないことはバレーボールで知っている。家では極端に口数が少ない。裕子は夫が何をやっていたかを、のちに新聞で知ったほどだ。しかし、夫の様子がおかしいくらいはわかる。家族旅行に連れ出すが、旅先でもLEDのことしか頭にないから、少しも休養にならない。

頭の中にあるのは窒化ガリウムの結晶のことばかり。装置の中の温度を1000℃に上げ、サファイア基板の表面にガリウムとアンモニアのガスを横から流す。すると、アンモニアガスから窒素が分解してガリウムと手をつなぐ。従来の装置は炉内の温度が500℃止まりだったから、未知の世界だ。

ところが、アンモニアガスは腐食性がものすごく、鉄、ステンレスなど、たいていの金属はぼろぼろになってしまう。装置を作る材料を探すのが大変だった。

「その材料はなんですか」と筆者が聞くと、中村はからからと笑い、「勘弁してください」と答えた。ノウハウの部分に属すようだ。ただ、「どこにでもある物質ですよ」とだけ教えてくれた。苦節の10年間の職工生活で得た知識である。

ノウハウは装置の材料だけではない。最も画期的だったのは、ガスの流し方だ。それまではガスを横からだけ流していたのを、上からも押さえつけるように同時に流すやり方を発見した。「ツーフロー装置」と呼ぶ。

装置の簡単な模型図は、論文にも特許にも記載したが、それを見ただけでは他人には同じ物を作ることができない。装置の細かい形状、材質、手順、ガスの流量、反応時間など、総合的なノウハウがなければ、確実に失敗する。中村が会社を去ったあと、誰が装置を作っているかといえば、中村の作業を模倣したコンピュータである。