会長の鶴のひと声で3億円の予算がついた
中村が青色LEDの開発に取り組んだ動機は、単純である。
「切れたんですよ。出張で一緒になったお偉いさんから『おまえ、金ばっかり使って、会社つぶす気か』と、ケチョンケチョンにやられました。会社に言われたとおりやったのに、万年ヒラです。あとから入ってきた者が上司になってしまった。ごっつう頭にきて、自分の考えで、誰にもできないことをやってやろうと思い立ったんです。トップに直訴に行きました。青色やらせてくれって」
中村が今日あるのは、会長の小川によるものが大きい。中村の申し出に周囲は首をかしげたが、小川の鶴のひと声で3億円の予算がついた。「中村は大ボラ吹きだが、物はきちんと作る。やらせてやれ」。
当時の日亜化学の売り上げに対して1.5%に相当する額である。思い切った金額と言っていい。
※プレジデント2000年7月14日号「中村修二 青色レーザーを生んだ『考える』執念」より