すべての欲望を削ぎ落した質素な下宿

中村の半生にはいくつかの「もし」がある。父の瀬戸村から大洲市への転勤がなかったら、中村は集団就職の少年となっていたかもしれないように、もし徳島大学3年の時、妻の裕子に出会わなかったら、日亜化学入りすることはなかった。

入学して間もなく中村は同じ大洲高校から徳島大学に入った友人3人に絶交を申し出る。一切の遊びを拒否したのだ。学費は家元から送ってもらったが、生活費は育英資金のみ。朝昼晩、学校の食堂で済ませ、図書館に通う。当時を振り返って、「エンゲル係数が100%に近い生活でした」と苦笑する。家賃5000円のアパートで専門書を読みふけり、あとはひたすら沈思黙考の毎日だった。

そんな中村は1回だけ無駄に見えることをした。大学祭のとき、食堂の隣で開かれたゴーゴーパーティーを覗いた。そこで裕子と出会ったのだ。その夜、恒例の「貫歩」があった。40キロほど離れた駅まで汽車で行き、歩いて大学まで帰ってくる。裕子の記憶によれば、中村はずっと側を歩き、星を見上げながら宇宙や物理の話をしてくれた。裕子は中村のセーターが虫に食われて穴の開いているのを発見する。

やがて下宿を訪れた裕子は、入り口で立ちすくんだ。テレビも漫画も何もない。ただ専門書がうずたかく積んであるだけだ。専攻分野の探究以外には、すべての欲望を削ぎ落した、凄まじいほど質素な空間だった。この人だと直感したのである。2人は深く付き合うようになり、裕子は妊娠する。大学院生のとき結婚。卒業したら、大都会で就職しようと思っていたのだが、子供のためには田園生活が良いと判断して、恩師の友人が経営する日亜化学に入社することになった。

面接のとき「何をしたいですか」と問われ、「何でもいけます」と答えた。別に半導体を研究しようなどとは思ってもいなかったし、ましてやLEDなどは頭の片隅にもなかった。営業でも何でもいいと本当に思っていたのだ。

課員3人しかいない開発課に配属される。「半導体の研究開発をやったのも、営業が新聞かなんか読んで、おお、これは売れるわという感じで、持ち込んできたんです。10年間で3つ製品化しましたが、月100万円くらいの売り上げにしかなりませんでした」