なぜ星野監督は日本一になれたのか?

星野にとって2回目の日本シリーズは、1999年。王貞治が率いるダイエーが相手だった。このシリーズでクローズアップされたのが、守りの綻びだ。福留孝介に、内外野両方のポジションを強い、2度の致命的ミスを招き、またしても1勝4敗で涙を呑んだ。

思い出すのは、星野が指揮を執った北京五輪。G.G.佐藤(当時・西武。現・ロッテ)に、公式戦で5試合しか経験していないレフトを守らせ、2度も落球。優勝はおろか、メダルにも手が届かなかった。

脇の甘さは、王ダイエーとの再戦になった2003年の3度目の日本シリーズでも変わらない。3勝2敗と王手をかけると、星野は恒例の番記者とのお茶会に臨み、ご機嫌に話した。

「おれは胴上げで宙を舞うことだけ考えるよ」

ところが、第6戦は杉内俊哉(現・巨人)、第7戦は和田毅(現・カブス傘下)に完璧に封じられ、三たび日本一を逃すことになる。

4度目のチャレンジになった昨年の原巨人との日本シリーズも、同様に3勝2敗で王手をかけ、「宙に舞いたい」と語ったが、翌日の移動日は、第6戦の先発がシーズン24連勝の田中将大(現・ヤンキース)だったにもかかわらず、それまでとちがった。

「みんながつくってくれた舞台だから、田中は大いに力を発揮すればいい」

星野らしからぬ抑制の利いたコメントが、初めての日本一をもたらすことになるのである。

星野仙一監督 レギュラーシーズン通算成績】
 2173試合 1134勝986敗53引き分け 勝率5割3分5厘(2013年末現在)

(文中敬称略)※毎週日曜更新。次回、広岡達朗監督

関連記事
なぜ日本一監督は捕手出身が多いのか?
森祇晶監督「やっとイーブンになりました」
『4522敗の記憶』村瀬秀信著
なぜ、都立小山台高校野球部員の7割は一流大学に現役合格できるのか
楽天球団社長の「ポンコツチーム」再建秘話【1】