取材は優勝パレードの直後だった。万年Bクラスのチームを再建した元金融マンは、球場での撮影で「表情、硬いっすよ!」と社員に冷やかされていた。「笑うな!」と返す東北楽天ゴールデンイーグルス社長・立花陽三氏。そのやり取りは、チームの結束力を確かに物語っていた。
――立花氏はソロモン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックス、メリルリンチを渡り歩いた元外資系証券マン。三木谷浩史(楽天会長兼社長)オーナーに請われて2012年8月に転身した。
東北楽天ゴールデンイーグルス社長 
立花陽三氏

三木谷さんとは5年くらい前からお話をさせていただく程度の間柄でしたが、ある日、何の前触れもなく「球団の社長をやらないか」と誘われました。最初は冗談かと思いましたが、翌週に前社長の島田亨(現・楽天常務執行役員)から「会いたい」と電話がかかってきて、どうやら本気だなと。

もともと野球は大好きでした。東京出身なので、子どものころはヤクルトファン。高校野球にも興味があって、小学生のときは毎夏、甲子園に観戦に行っていました。ただ、自分でプレーしていたのはラグビーです。父や兄がラグビーをしていたので、気づいたら自分も小学生からラグビーを始めていました。選手としてだけでなく、母校の慶應義塾大学でバックスのコーチをやらせていただいたこともあります。

私が現役のとき、日本にはプロのラグビーもありませんでしたし、スポーツという点でも、ラグビーは野球と異なるスポーツです。そういう面で迷いはありましたが、悩むというより、思い切って飛び込んでみようという気持ちのほうが大きかったですね。

まずスポーツが好きだったし、18年ずっと外資系企業にいて、そろそろ自分でも勝負してみたいという思いもありました。それに加えて被災地への思いも大きかった。じつは三木谷さんから話をいただく1週間前に、東日本大震災で親を亡くされた子どもたちに何かできないかと女川町を訪れました。でも、NPOの人とお会いするぐらいで、子どもたちに対してはほとんど何もできなかった。自分が被災地のお役に立てることって何だろうかと考えていたときにお話をいただいて、すべてがいいタイミングで重なったという印象です。