「打」のヤクルトvs「投」の西武

1993年の日本シリーズは、2年連続で野村ヤクルトと森西武の対決になった。

この年のペナントレースは、ヤクルトが12球団ナンバーワンのチーム打率2割6分3厘なら、西武はチーム防御率が12球団唯一2点台の2.96。ひと言で表現すれば、「打」のヤクルト、「投」の西武であった。

第1戦は西武球場で幕を開けた。1回表、二死一、二塁から5番・ハウエル(三塁手)が西武先発・工藤公康のストレートをとらえ、左中間スタンドに3ラン。ハウエルは前年、16三振という日本シリーズワースト記録を更新していただけに、いきなりホームランを放ち、ヤクルトベンチは「ことしはいける」とお祭り騒ぎになった。

点の取り合いになった第1戦だが、終始ヤクルトペースで進み、8対5で勝利した。

「工藤は1回3分の1で5四球。大誤算やった」(森)
「大監督の森監督は第2戦を重視する人。あすからが本当の勝負だ」(野村)

第2戦はヤクルトが1対2とリードされた3回表、西武先発の郭泰源に積極打法で襲いかかった。先頭の4番・広沢克己(一塁手)がライト前ヒットを放つと、初球攻撃でつづいた。5番・ハウエルがライト前ヒット、6番・池山隆寛(遊撃手)がセンター前ヒット、7番・秦真司(指名打者)がライト前ヒット。郭をマウンドから引きずり下ろした。長い日本シリーズの歴史でも、初球3連打は初めてのことだった。

「ことしの郭なら、内角か外角か絞れば、打てますよ」

広沢のコメントが、野村ID野球の浸透度を示していた。

一方の西武は4回裏に一死二、三塁というチャンスをつかんだが、3番・秋山幸二(中堅手)、4番・清原和博(一塁手)が凡退。前年まで日本シリーズで大活躍したデストラーデがメジャー新球団のフロリダ・マーリンズに移籍し、打撃力低下は否めなかった。第2戦はヤクルトが5対2で勝利。

「第2戦を重視していたので、先手を取ったという感じやな」(野村)
「投手力でもってきたチームが、2戦連続、先発が3回ももたないのだから、何をか言わんやだ」(森)

第3戦前夜、森は緊急ミーティングを開き、選手たちに檄を飛ばした。

「石毛につづけ!」

第1戦で右前腕部に死球を受けた石毛宏典(三塁手)が、第2戦で3打数3安打と1人気を吐いたからだった。森が精神論を説くのは極めてめずらしかった。