勝負強い監督、接戦に弱い監督……、監督の発想は、すべて現役時代のポジションから湧き出ている。歴代監督をポジション別に徹底分析する。
「史上最高傑作」の日本シリーズ
1992年の森西武対野村ヤクルトの日本シリーズは、「史上最高傑作」と呼ばれ、野球ファンに語り継がれている。なにしろ、7試合のうち4試合が延長戦。終盤まで、同点ないしは1点差の展開が6試合。このシリーズに限っては、エピソードが必要ないほど、事実そのものがドラマだった。
両監督が捕手出身であることから“狸とタヌキの化かし合い”と評されたシリーズは、10月17日、神宮球場で幕を開けた。
西武は5番・デストラーデ(左翼手)のライトへのソロホーマー、ヤクルトは古田敦也(捕手)のレフトへのソロホーマーなどで加点し、9回を終わり、3対3。延長戦に入り、12回裏。ヤクルトは一死満塁のチャンスをつかみ、野村が動いた。代打・杉浦亨。40歳の杉浦は、この年限りの引退を表明していた。
2ストライクと追い込んでの3球目。リリーフの鹿取義隆がウエストしようとした球が内角に甘く入った。杉浦がバットを一閃すると、打球は舞い上がり、ヤクルトファンで埋まるライトイトスタンドへ吸い込まれた。日本シリーズ史上初の代打満塁サヨナラ本塁打だった。
「ショックはない。最後はホームランも犠牲フライも同じこと」(森)
「先発・岡林(洋一)で落とせない試合だった」(野村)
第2戦は郭泰源と荒木大輔の息詰まる投手戦になった。0対0の均衡を破ったのは、西武の4番・清原和博(一塁手)。6回表一死一塁で、7球目のスローカーブをすくい上げ、左中間スタンドに2ラン。すると、森はレフトのデストラーデをベンチに下げた。
「デストラーデはシーズン中、1回もレフトを守ったことがなく、リスクが大きかった。6回以降、打球が一度もレフトに飛ばなかったことを指摘する人がいるかもしれないが、それはあくまで結果論。勝つために確率を重視するのがプロの采配だ」(森)
ヤクルトは7回裏、二死一、二塁という反撃機を迎え、1戦同様に代打・杉浦をファンが期待したが、野村は動かなかった。
西武は先発の郭泰源をリリーフした潮崎哲也が後続を断ち、2対0で勝利。
「1勝1敗は上出来。伊東(勤。現・ロッテ監督)が投手をよくリードしてくれた」(森)
「こういう試合に限って、1球の失投で決まるもんだ」(野村)