コロナは世界史的な大転換を感じるハプニング

――今回のコロナ禍で、個人も社会も大きな変化に見舞われています。五木さんにとってもっとも大きな変化はどういうものでしょうか。

【五木】なんといっても、これまで50年以上続けてきた夜型生活が朝型生活に逆転したことでしょうね。それまでは、朝に寝て夕方に起きる暮らしを半世紀続けてきたんです。たぶん自分は一生このままのスタイルで生きていくだろうと思ってました。ところが3月末から4月にかけて突如変化が起きて、それからは1日も欠かさず7時半くらいに起き、夜はだいたい12時半か、1時には寝ています(笑)。

作家 五木寛之氏
撮影=尾藤能暢
作家 五木寛之氏

じつはこれまでも、もうちょっと健康な作家になろうと何度も努力をしたことがあるんですよ。でも、ことごとく挫折しました。それが突然、努力もしないのに変わるのは、僕は「他力」と言っていますが、やっぱり自分というものを超えた、転換期の大きな力に個人の心身が感応したのかもしれません。

コロナによる生活革命で、つくづく自分の力でなんでもできるわけじゃないことを実感しました。昔から言ってきたことではあるけれど、人生は自分の思う通りにはいかないものです。これは個人だけじゃなくて、社会や国家、世界の多くの人が理想を追い求め、こちらのほうに世の中を持っていこうと思っていても、その通りにはいかない。

むしろ、思いがけない大きな力が転機になって、世界は変わっていくんだな、と痛感しました。大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとってこの生活の大逆転は、世界史的な大転換を感じさせるようなハプニングだったのです。

これから「札束」という言葉は死語になっていく

――コロナ禍で再注目された五木さんの『大河の一滴』には、「ちっぽけな自分の体のなかをゆっくりとへめぐっている見えない風のようなもの、見えない大きな流れ、そういうものが感じられるときがあります」という一節があります。まさにそれをお感じになられたんですね。

【五木】身近なところで感じる変化は、大きな変化の前触れのようなものでしょう。通貨にしても、どんどんキャッシュレスになって、そのうち紙のお金はほとんど必要なくなってくるらしい。昔は聖徳太子が描かれている1万円札にはオーラがあったんですよ(笑)。札束が目の前にドンと置かれると、それで自分の行動が左右されるという実感があったわけですけど、これから札束なんて言葉はもう死語になっていくでしょうね。

1万円札も、いまはただの紙という感じしかしない。それどころか、コンビニでお札を唾つけてめくっていたりすると、周りの人から白眼視される始末です。これから先は、目に見えない仮想のもので物事が動く。ウイルスが物を介して感染するわけですから、ますます目に見える物の実感は希薄になっていくでしょうね。