安易にリツイートしない自制心
情報強者を自任する人も油断はできない。情報を鵜呑みにしたり、情報を垂れ流していなかったかを検証し、真の情報強者を目指さなければならない。
東日本大震災は私たちに数々の教訓をもたらしたが、流言・デマのような危険な情報から身を守るという視点では「玉石混交だった情報のうち何が玉だったのか、何が石だったのかという整理作業を自分なりにすることが第一のステップになる」と先述の荻上氏は言う。
信頼できるソースに基づいて発信されている情報か、そのソースの提示も含めて丁寧な積み重ねのプロセスを経て導かれた結論か。こうした「論理の美しさ」は最大の見極めのポイントだ。
例えば、海苔や海藻を食べろと医者が言っていたというのなら、その医者は誰なのか。政府が隠している事実というふれこみなら、それをどうやって知ったのか。そのように検証していくと玉と石の区別がつくようになる。完全に分けることは無理でも、玉の中に石が交じる確率は低くなるだろう。
さらに、「140字の中にソースを示すURLが含まれた情報かどうか」「間違った情報を発信してしまった場合には、きちんと訂正記事を出しているか」も大きな手がかりになる。
そのような方法で間違った情報に基づいて判断する確率を「数%でも下げることができれば、それによる混乱や不安、救命のためのチャンスロスを減らすことができるかもしれません」。
関東大震災から私たちは安全な避難の仕方を学んだ。阪神淡路大震災からはボランティア支援の方法を学んだ。それらが起こった時期に比べて格段に複雑な情報化社会の中で起こった東日本大震災からは情報共有に関するスキーム、流言・デマ対策に対するスキームを学ぶことが必要になる。