日中戦争中、細菌兵器を開発するために、中国で人体実験を繰り返していた旧日本軍の部隊があった。軍医の石井四郎が指揮官を務めた「七三一部隊」は、戦地において衛生的な飲用水を確保するための防疫給水の任務についていたが、なぜ彼らは、それとまさに反対の細菌兵器の開発に手を染めたのか。愛知学院大学文学部歴史学科の広中一成准教授が書いた『七三一部隊の日中戦争』(PHP新書)から一部を再編集してお届けする――。(第1回/全3回)
細菌戦研究で知られる旧日本軍の石井(731)部隊の施設跡地、郊外の平房(1996年2月、中国)
写真=時事通信フォト
細菌戦研究で知られる旧日本軍の石井(731)部隊の施設跡地、郊外の平房(1996年2月、中国)

日本陸軍が甚大な被害を受けていた伝染病

もともと細菌感染を防ぐ防疫給水を担っていた彼らが、なぜ被害を広げる細菌戦に手を染めることになったのか。

戦時中、第十一防疫給水部員として任務に当たっていた吉野秀一郎よしのしゅういちろうは、「防疫給水部とは」(『菊の防給』所収)のなかで、日本軍が防疫給水の必要性を認識したきっかけについて、次のように述べている。

「明治27、8年の日清戦争以来、日本陸軍が大陸で戦斗行動を行なった際の日本軍の受けた損害の内訳は、敵弾による戦傷者の数よりも、当時戦地で流行していた伝染病による戦病者の数が常に上廻っており、兵力を維持するためには如何に戦地における防疫が必要であり重要であるかを示していた。

しかも、伝染病による戦病患者の大部分が飲食物による胃腸系の伝染病であった事から、これを解決するためには細菌に汚染されていない無菌、無毒の水を大量に作って第一線の将兵に十分に供給することが必要であった」