※本稿は、エミン・ユルマズ『高金利、高インフレ時代の到来! エブリシング・クラッシュと新秩序』(集英社)の一部を再編集したものです。
AIバブルを手放しで喜べない理由
2025年に入って米国の主要株式指標が史上最高値を付けると、相場の流れが荒っぽくなり、明らかに変化が生じてきた。加えて足元ではいくつかの大幅調整を窺わせる危険信号が点滅し始めた。
私自身は、今回のAI関連株の暴騰に“懐疑心”を抱くエコノミストの一人である。なぜなら、AIはこれからの世の中を劇的に変える、巨額の富をクリエイトすると熱狂するには早すぎるのではないか。クリアすべき課題が多すぎる現実に対して、いまのAI関連企業の株価が“正当”とはとても了承しがたいからだ。
現実をよく考えてみよう。いま盛り上がっているのはデータセンターの建設ラッシュに対する過剰反応にすぎない。それがAIに対する強気観測と楽観論をことさら刺激したのではないか。
「自称IT企業」が増殖したITバブル
今回のAIバブルと2000年のITバブルとは、確かに似ている点もあるが、似ていない点もある。ITバブル当時は、インターネットとは関係がないのに社名の最後に「.com」が付いているだけで、株価が上がった銘柄も多かった。
現在はそんなことはない。株価を牽引するAI企業のエヌビディアにしてもARMにしても中身があるし、きちんとしたビジネスをしていると言われている。そうした点では当時の自称IT企業がもてはやされた時代と同じとは一概に言えない。
けれども、当時は様々な銘柄に投資資金が向かったが、いまは逆で一握りの銘柄に過剰に集まってしまっている。例えば、2000年のITバブルのときには、投資資金が100社程度に集まっていたのが、今のAIバブルにおいては上位10社程度にのみ資金が集中している。そこの違いだと思う。
このところの米国の企業は昔に比べて簡単に上場しなくなった。日本と異なり、ある程度大きくなってから上場するようになってきた。そうした株式市場の土壌の変化も踏まえると、私の感覚的には、規模としてはAIバブルはITバブルを凌駕したのではないか、そのようにも感じる。

