「すごく壮絶だった…」

次に、24万人を超える戦没者の名前を刻んだ「平和の礎いしじ」を訪れられ、そこに名前を刻まれた人たちのことなどについて、説明をお聴きになった。

沖縄県平和祈念資料館では、往時の悲惨な実情を伝える証言文に目を通され、敬宮殿下が「すごく壮絶だった……(みんなが)生きていくために(過酷な)選択をしなければならなかった」との感想を漏らされていた。

さらに戦争体験者や戦争体験を語り継ぐ“語り部”とも、言葉を交わされた。

窓辺に浮かび上がった3つの提灯

天皇ご一家がお車で移動される沿道には、初日だけで1万数千人の人々が出迎えたという。

那覇市内のお泊りのホテル近くには、4500人ほどの県民が奉迎のために提灯や日の丸の小旗を持って集まった。

ご一家もお部屋の中で、それぞれ提灯をお持ちになって、奉迎の人たちの気持ちにお応えになられた。

お部屋を暗くされ、そこに3つの提灯が浮かび上がった。その3つの提灯が、人々の提灯の動きに合わせるように揺れる様子は、映像で拝見しても胸に迫るものがあった。

宜野湾市から夫と7歳の息子と一緒に参加していた女性は、こんな感想を述べていた。

「ぜひ家族で参加したいと思って来た。(ご一家が持つ)提灯が3つ見えて、感動し、鳥肌が立って涙が出た。沖縄県民として日本に生まれて良かった」(我喜屋彩花さん)

対馬丸事件の慰霊碑で皇后陛下は涙を浮かべられた

翌日は、那覇市にある学童疎開船「対馬丸」の沈没による犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」に向かわれた。

対馬丸は昭和19年(1944年)8月22日、学童などを疎開させるために長崎に向けて航行する途中に、アメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した(対馬丸事件)。

この時の犠牲者で、これまでに氏名が判明しているのは1484名。そのうち、0才から15才が1040名にも達した。悲惨と言うほかない。

そこで花を供えられた後、関係者から説明を受けられた際に、皇后陛下はうっすらと涙を浮かべておられた。

対馬丸記念館では平良次子館長から説明を受けられた。