NHK朝ドラ「あんぱん」のモデル・やなせたかしさんはどのような晩年を送ったのか。文筆家の物江潤さんは「やなせ先生には最晩年まで、物事を面白がるという漫画家精神があった」という――。

※本稿は、物江潤『現代人を救うアンパンマンの哲学』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

大好評だった架空結婚式

年齢を重ねるにつれ、やなせ先生はどんどんと陽気になり、数多くの愉快なイベントを開催するようになります。陰気な少年時代がまるで嘘のように、多くの人々を喜ばせていったのです。

こうした傾向は、80歳になってから拍車がかかります。音楽の知識がないのに作曲を始め、ド派手な衣装を身にまといステージで歌を披露したかと思いきや、84歳になると『ノスタル爺さん』という曲でCDデビューまで果たしてしまいます。

そんな楽しい数々のイベントのなかから、ここで幾つかの具体例を紹介しましょう。

1996年には、漫画家の里中満智子と、架空結婚式というドッキリのようなイベントを開催しています。実際の結婚式同様、事前の打ち合わせまでしてしまう徹底ぶりで、まさに本番さながらの式でした。式が進むにつれ、本当にふたりは結婚するのかと信じた人もいたことでしょう。そして式の最後、やなせ先生による「漫画家は、このくらいの冗談ができなきゃ、いけません」という含蓄のある言葉で締めくくられ、会場では大爆笑が起きたのでした。

この架空結婚式は、特に女性たちから大好評でした。今度は私を花嫁にしてほしいという依頼が殺到します。そしてその依頼に応えるため、アンパンマンミュージアムのオープン前日に、8人の花嫁を引き連れ前夜祭を実施してしまいました。その後も「偽の結婚式」は継続的に実施され、少なくとも合計で4回は行われたようです。よほど好評だったのでしょう。

自己評価は「精神的には不老少年で未熟」

1999年には世紀末に関するイベントが実施されます。9月9日9時9分9秒に9の文字に別れを告げるという、赤塚不二夫も真っ青のナンセンスな催しでした。やなせ先生が自身について「精神的には不老少年で未熟」と評したように、まるで中学生が考えたかのような企画でもあります。

1953年、日本テレビ開局の頃のやなせたかしさん
1953年、日本テレビ開局の頃のやなせたかしさん(写真=『やなせ・たかしの世界 増補版』サンリオ、1996年7月25日/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

しかし、そんな少年の発想のような企画を運営・演出するのは、元祖マルチタレントのやなせ先生なので、中学生の文化祭とはわけが違います。しかも、基本的にいつでも無料で招待してしまうのですから、大盛況にならないわけがありません。なお、世紀末イベントに関しては1999円99銭の会費が生じましたが、5000円相当のお土産がついてきました。

2001年にはミュージカル『涙のデュオ』を上演します。いつものように作詞作曲そして歌手も含め、あらゆる仕事を無償でやってしまいました。

このとき、やなせ先生はインフルエンザに罹患するも策を弄して強硬出演しています。その後、病院に行くと腸閉塞の診断が下り即入院しますが、なんと次の日には同ミュージカルに出演してしまいます。これを82歳でやってしまうというのは無謀な気もしますが、本人が楽しくて仕方がないのですから致し方ありません。聞こえてくる絶賛の声に対し「これがこたえられない」「これがもうメチャクチャうれしい」と喜びの声をあげています。