「呼出し」と呼ばれる最高位になれそうな美人は「引込み」に
14歳頃「引込み」
美人で将来を嘱望される禿は、女郎屋の主人夫婦の傍らに置いて、将来「呼出し」にするための英才教育をします。この期間は禿名のままで見世には出さず、細見にも載せず引っ込めておくので、「引込み」と呼ばれました。
14歳頃「振袖新造」
「引込み」になれなかったその他大勢の禿は14歳前後で「振袖新造」になります。
そして育てた花魁が「新造出し」の挨拶廻りに付き添い、配り物・祝儀などの費用をすべて負担してくれます。さらに本人の衣装だけではなく、花魁の衣装も新しく仕立てるため、かなり費用がかかります。これも花魁の負担ですが、花魁はこれを複数の馴染み客にお願いをして出してもらうので、日頃からのサービスが大事です。もし不足すれば、それも花魁の負担ですが、地味なことをすれば、花魁の名前に傷が付くので、ここは奮発しなければいけません。
振袖新造になると、花魁の用事をしたり、道中の供をしたり、座敷で客の相手をしたりしますが、この段階では、原則客を取りません。
17歳で最上位の遊女、蔦重の時代は「呼出し」としてデビュー
17歳頃「呼出し」(花魁)
この頃まで、客前に出なかった「引込み」がいよいよ客前に出ます。そのため、女郎屋としてはせっかくここまで大切に育てたのですから、高く売りたいというのが本音です。
そこで振袖新造を飛び越して、一気に女郎の最上位に登ります。蔦重(蔦屋重三郎)の時代、安永4年(1775)の細見に出ている「太夫」「格子」は名ばかりで事実上は消滅したので、最高位は「さんちゃ」(散茶)になりました。さんちゃは本来、太夫格子の下の中級女郎でしたが、昇格した形です。翌年にはそれも分化して「呼出し」「付廻し」ができ、さらに「呼出し」だけになりました。
そのため「引込み」は「呼出し」に、一気に引き立てられ、女郎のトップに登りました。禿二人と振袖新造が付いていて、身の回りの用事をしてくれます。
そして、呼出しが呼出したる所以は、張見世に出ることもなく、引手茶屋からの呼び出しで女郎屋から引手茶屋に行くことから。そのとき行われるのが花魁道中で、自分も含めて9人が並び、禿や女郎も着飾った衣装で行列を組みます。これを目当てに来る客もあり、まさに吉原の花の象徴です。