歴史とは無数の人の人生の束でできている。そう語る磯田道史さんは、歴史家として史料を読むことで、何万人という日本人に出会ってきた。その中に「どうしても頭にこびりついて離れない人たちがいる」と言う。本書は、そんな忘れ難い3人の江戸人の生涯を描いた評伝集だ。
武士に貸した金の利子で、貧しい故郷を将来にわたり救おうとした商家・穀田屋十三郎。清貧を貫き庶民とともに生きた儒者・中根東里。そして絶世の美女に生まれながら辛苦の日々を送り、庵で陶器を作り続けた大田垣蓮月。彼らに共通する「無私」という生き方とは、どのようなものだったのか。
「大田垣が『自他平等の修行』と言ったように、無私とは自分を思うように他人を思うこと、そうありたいと願うことです。中根東里も同様に『人のために何かをすることは自分の病気を直しているのと同じことだ』と言う。私はこうした価値観こそが、かつての庶民の中に道徳として根付いていたものだったと確信しているんです」
その「価値観」を体現した3人の姿を史伝文学として描くとき、磯田さんの胸裡にあったのは次のような強い思いだ。
「この20年間、本来は補助動力に過ぎない競争の原理が、この日本でも社会の根幹に置かれてきました。でも、その原理を日本人は使いこなせず、生きる上で最も大切な心の平穏を結局は得られなかったのではないか、と思うんです」
だからこそ「無私」を貫いた彼らの生き様、は「いま」の時代に照らし出されて輝きを増したのだろう。史料を読みながらときに涙さえ流し、磯田さんは突き動かされるように書いた。その輝きを伝えることが、数多の人生の糸を手繰ってきた自らの責務だと信じたからだ。
「たとえ経済成長やお金を誇りにせずとも、心穏やかに暮らすための哲学はすでにこの日本にあった。それを過激に実践した3人の姿は、私たち日本人の本当の強みが何であるかを教えてくれているんです」