「右からは左翼、左からは右翼と言われ、僕は随分誤解されている。だから78歳になって、この辺で人生を総括しようと思った」
自伝『塀の上を走れ』を上梓した理由を田原総一朗氏はこう語る。右でも左でもなければ、何者なのかと尋ねると、「ただのやんちゃ坊主」と笑う。
「小学5年生のときに敗戦を迎えて、価値観が180度変わった。教師や国家の言うことなんて信用できない。常識なんて大ウソつきだと思った。若いときはやはり共産主義がいいと思ってましたね。でも1965年にソ連に行って大幻滅した。それでも、当時のマスコミは全部左翼だから、共産主義はダメなんて怖くて言えない。まさか自民党の味方もできない。結局、アナーキーになるしかなかった」
『朝まで生テレビ!』や『サンデープロジェクト』では、左右上下から鋭く批判して、体制側の本音を引き出した。
「僕はある意味で体制を評価していた。突っつけば新しいアイデアが出てくると思っていた。ところが叩けば響くどころか、海部俊樹、宮沢喜一、橋本龍太郎と3人続けて首相が失脚してしまった。もはや体制なんてないんだと思って、突っつくだけではなく、対案をつくらなければいけないと考えるようになった」
小泉政権以降、体制批判にとどまらず、積極的に注文や意見を投げかけてきた。時の政権もしばしば田原さんにアドバイスを求めるようになった。現首相もその1人だ。
「安倍さんに会ったときに『あなたの趣味は右翼だ。でも趣味に走るな。右翼は右の共産党みたいなもので、観念的でリアリティがない。あなたは自分を保守本流と思って現実から足を踏み外すな』と言った。憲法改正はいいけど9条の第1項(戦争放棄)は変えるな、河野談話は変えるな、とね。本人も変えないと言ってます」
アベノミクスについても、「笹子トンネルの崩落事故がなければ、こんなものマスコミからコテンパンに叩かれた」と直言したとか。
「それから尖閣問題。前の政権のとき訪中をアドバイスしたら、直ちにそれを実現して中国の信頼を得た。日本で中国とのパイプを一番持っているのは安倍さんだし、向こうも期待している。中国側の考え方を“理解”ではなく、“認識”して、中国との話し合いをすべきだ、と。中国との対話はもう始まっている」
(刑務所の)塀の上は走るが、中には落ちない。アナーキーから転じても、ギリギリまで追い込むスタイルは変わらない。