徳川10代将軍・家治の時代(在職1760~87年)を描く大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)。系図研究者の菊地浩之さんは「主人公は蔦屋重三郎だが、徳川政権の内部も描かれる。その中枢部には後の老中・松平定信など、松平姓の重要人物が何人もいた」という――。
黒漆葵紋蒔絵螺鈿刀掛(江戸時代)の写真を一部加工、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム
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大河ドラマ「べらぼう」に登場する4人の松平

2025年大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)は主人公・蔦屋重三郎(横浜流星)の活躍を描きつつ、並行して老中・田沼意次(渡辺謙)の政治も描こうとしている。

第2話で田沼が3人の老中と話し合っていたが、3人とも松平姓だった。筆頭老中・松平武元たけちか(石坂浩二)と松平康福やすよし(相島一之)、松平輝高(松下哲)。田安賢丸こと松平定信(寺田心)の若き姿も出てきた。もう、松平が多すぎるのである。しかも、かれらは必ずしも血縁でつながった一族ではない。一体どうなっているのか。

松平家は4つに分類できる

徳川家康の旧姓が松平であることは比較的知られている。だから、家康の一族は基本的に松平姓だ。ただし、初代将軍の家康というか、江戸幕府は松平姓にキチンと序列をつけた。

中学・高校の授業で、江戸時代の大名は親藩しんぱん譜代ふだい外様とざまに分類されると習わなかっただろうか。家康の子孫と、家康の異父弟の子孫は親藩大名、家康以前に分かれた一族は譜代大名に分類された。これ以外に、家康や歴代将軍が松平姓を与える事例もあった。

「松平」を名乗ることができた4つのパターン

① 家康、および異父弟の子孫/親藩大名

家康の子孫と、家康の異父弟の子孫である。紙幅の関係からすべては紹介できないが、幾つか以下に掲げておこう。

家康の両親は政略結婚で、かつ結婚後に母・於大おだいの方の実家と利害が反してしまったため、3歳の家康を残して離縁されてしまう。於大の方は久松俊勝と再縁し、3男3女に恵まれた(久松松平家)。次男には子がなく、養子が旗本になり、長男と三男は大名に取り立てられた。

長男の子孫は無嗣廃絶で、支流が旗本として存続。三男・松平定勝の子孫が大名として永らえた。冒頭でも紹介した松平定信は、定勝の子孫の養子になった(だから名前に「定」の字がつくのだ)。ちなみに、元NHKアナウンサーでキャスターの松平定知氏(80歳)も、この家系の分家旗本の子孫。だから、名前が似ているのだ。

【図表】松平姓を名乗った大名たち一覧
筆者作成
※「年」は松平姓を賜った年。菊地浩之『徳川家臣団の系図』から筆者作成