日本神話では、初代天皇である神武天皇は九州の日向から東進し、橿原宮で即位したとされている。その道のりはどんなものだったのか。考古学者・森浩一さんの著書『日本神話の考古学』(角川新書)より、一部を紹介する――。
八咫烏に導かれる神武天皇
『神武天皇東征之図』より、八咫烏に導かれる神武天皇(画像=Ginko Adachi/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

南九州にいた初代天皇が建国するまで

古事記』(以下、『記』)や『日本書紀』(以下、『紀』)の全体の構成のなかで、南九州にいた天皇家の先祖たちと、いわゆる大和朝廷時代の天皇家の先祖たちとをつなぐ事件として重要なのが、「神武東征」とか「神武東遷」とよばれている大移動の物語である。

この大移動の物語では、宮崎、大分、福岡、広島、岡山、大阪、和歌山、三重などの府県の地名がつぎつぎにあらわれ、最後に大和を平定し、建国したストーリーになっている。この建国の年を西暦で換算すると、紀元前660年になる。

以下、イワレ彦(伊波礼毘古、神武天皇)の東征の物語として表記するけれども、この南九州から近畿への東征の物語がなければ、『記・紀』の構成上では、大和での朝廷は生まれ得ないのである。

かつては「非科学的」とされていた

太平洋戦争後の考古学では「神武東征」についてほんのわずかでもふれる研究者があると、「科学的でない」として非難の雨が集中した。そのため、しだいに事件としての「神武東征」だけではなく、考古学的な資料の整理の結果として導きだされた「九州の勢力あるいは文化の、大和など近畿への東伝あるいは東進」についてふれようとすることにも、ためらいがみられるようになった。

“戦争中の言論への弾圧とはもちろん違うとはいえ、これは、政府や軍部ではない力による、言論への圧力ではなかろうか”としばしば考えさせられた。しかし、そういうためらいを捨てて、虚心に神話・伝説と考古学の接点を探るべき時期であろう。