代田昭久(東京都杉並区立和田中学校校長)
3月の日曜日。春の陽射しがやわらかい。テニス部が練習中の和田中学校の校庭に、スキンヘッドの代田昭久校長がひょっこり現れた。「お~い」と声をかけると、女子生徒たちから歓声が沸いた。
「あっ。校長せんせ~い!」
「校長せんせ~~い!」
水色のTシャツ。黒いトレパン。頭に白いタオルを巻きつけた熱血校長が、ラケット片手にグラウンドを駆け回る。からだの奥から発散される天燃の活力。元気のいい人間ってのはどこでも頼りになる。
47歳。3月いっぱいで同校の校長は退任する。でも5年間、民間人校長として、生徒たちの教育、より良き環境作りに最善を尽くしてきた。いつも全力投球。
代田校長は言う。めがねの奥の眼差しは柔らかく、かつ鋭さものぞく。
「(生徒たちには)これからの社会でちゃんと生き抜いていく力が大事だと思っています。勉強や運動をしっかりやって、考える力を身につけてほしい。相手の意見を聞いて、自分の意見を言って、一緒にコラボレーションしていく、そんな力をつけてほしいのです」
代田校長が実施した改革のひとつが、話題の「部活イノベーション」だった。部活動の休日の指導を、スポーツコーチ派遣企業に委託する試みで、「大きな方向では順調だなと思っています」と手ごたえはつかんだ。
そんな代田校長の座右の銘が「最善を尽くし、そして一流であれ」である。「日本のアメリカンフットボールの父」といわれるポール・ラッシュ氏(立教大学元教授、戦前に東京学生アメリカンフットボール連盟を設立)の言葉で、代田校長は年に一回は全校生徒にも伝える。
「一流でないと、人にいい影響を及ぼすことができない。一流でないと後世に残せない。一流でないと、人を感動させられない。そういった意味です。だから一流であれ、と」
長野県飯田市出身。小学校の時、水泳のバタフライを我流で泳ごうとしたため、腰を痛めた。中学時代はバスケットボール、慶應義塾大学ではアメリカンフットボールに打ち込んだが、ずっと腰痛はとれなかった。大学2年で椎間板ヘルニアの手術に踏み切った。
だからだろう、「伸び盛りの子どもの指導者の大事さは身にしみて感じています」と漏らす。1990年、リクルートに入社し、アメフトの「リクルートシーガルズ」でプレーする。2002年、リクルート社を退社し、独立した。作家村上龍氏とともに、若者の職業観育成に役立つ事業も展開した。
2008年、和田中学校の校長に就任した。思春期の生徒たちに、おそるべき量の情熱をそそぎ込んだ。夢は? と問えば、真顔で「文部科学大臣ですよ」と漏らした。いいなあ、率直で。「そのポジションについたら、日本の教育観が変えられるからです」。
志は大きい。なるほど、異色の教育者にて、世に類のなき一流の人である。